2024年6月22日土曜日

【日記17】新橋〜「ありがとう」




6月16日、東京歌会でした。久しぶりの新橋駅。ドラマ「アンチヒーロー」で明墨法律相談所があるとされている建物のロケ地となった新橋駅前ビル1号館、そしてその入り口に鎮座する開運狸の「狸広(たぬこう)」の写真を撮って妻へ。そう、この日はドラマの最終回で、前の週の放送では、あと2話あると思っていたら次が最終回であることに気づいて膝から崩れ落ちていたから、「最終回が終わっても立っていてくれよ」という願いを込めて送った。

東京歌会へは4月から参加してます。5月は文フリ東京の出店と重なって参加できなかったのでまだ2回目。ちょっとは緊張もほぐれてきたと思うけれど、まだまだ評はたどたどしい。ただ、東京歌会に限らず、歌会というものに参加するようになって、明らかに自分の歌は変わってきたと思う。作る時に気にすることも、始めた頃よりたくさん増えた。もっともっと変わっていって、いろんな人や先輩たちに揉まれながら、良い歌を作れるようになったら良いなと思う。

6月21日、「短歌研究」7月号の発売日でした。短歌研究新人賞掲載号だったので、数日前から各SNSでは待ちきれない思いが投稿されてましたね。僕の結果は「最終選考通過」でした。友人が写真付きで教えてくれて、嬉しかったです。もうひとつ嬉しかったのは、誌面で永井駿さんと隣同士に載せてもらえていたこと。もちろん、お互いに受賞を目指してたのでもっと前のページに載っていたかったのですが、でも、なんとなく並んでるのが嬉しくて、「この2人を並べるなんて、わかってる〜!」とか思っちゃいました。笑

まぁ、受賞を逃して悔しかったんですが、こうやって総合誌に載せてもらうことで、これまで歌集を読んでくれた人や、歌集を置いてくださった本屋さん、歌会を一緒にしてくれた人、短歌の話をしてくれた人、気にかけてくれている人、歌友たち、みんなが喜んでくれたら良いな。そしてそれが一番だな、と思ってます。「お、善戦している!」って思ってほしい。あるいは「もっと頑張れ!」って応援して欲しい。その声援の全てに、いつか「受賞」でお返ししたい。いろんな「ありがとう」を思った日でした。

2024年6月15日土曜日

【月詠】「塔」2024年6月号

僕が所属している結社の結社誌「塔」6月号が届きました。

今号では新樹集に掲載していただいております。

23年4月号以来、1年2ヶ月ぶりの掲載なので嬉しいです。


仏壇を動かしたいと実家から昼もついでに食べていけばと

日常の最西端のコンビニでもらうクーポン付きのレシート

「2008 春」と書かれたノートには真っ白という二十歳の記録

南仏の俳人の句を消えかかる自分の中の十代と読む

出ていくと決めつつ住んだ角部屋を桜のように見上げてしまう

将来は小さな店を出すことを確かめ合った平日の旅


新樹集掲載は嬉しいものの、10首出したうち4首が落とされているので、うぅ、精進します、という感じです。

そして今号は第14回 塔短歌会賞・塔新人賞の作品掲載号。

受賞作はもちろん候補作や選考座談会もじっくり楽しみたい。そろそろ夏の塔の全国大会の旅程など考え始めないと。

【日記16】銀河〜東京

6月11日、大滝和子『「銀河を産んだように」などⅠⅡⅢ歌集』を読み終えた。神宮球場での六大学野球観戦吟行に参加できなかった歌友が、吟行前に「白球の叙事詩(エピック)」を教えてくれたのがきっかけで読み始めた。吟行前に読むと引っ張られそうだったので、終わってから読んだのだけど、そのあとに吟行をもとに作り始めた結社誌の月詠で見事に引っ張られ、頭から追い出すのに苦労した。

好きな歌を二首。


青空の胎内にあるこの街の図書館のそば自転車でゆく

地球に軟禁される生物ゆるゆると髪とかいうもの洗いおわんぬ

大滝和子『「銀河を産んだように」などⅠⅡⅢ歌集』


街が〈青空の胎内にある〉なんて思ったこともなかった。自転車で図書館のそばをゆくというごく普通の行為が宇宙の中にしっかりとある感じ。二首目、こちらも包まれている。天体や宇宙がまったく遠いものではなく、そもそも自分を包み、自分を含んでいるものである、そんな感覚。

6月14日、仕事のあとに家とは反対方面の電車に乗って歌会へ。会場は荻窪の「鱗kokera」さん。金曜、夜8時からのスタートに8名集まる。カレーとお酒を楽しみながら、23時近くまで盛り上がった。地元に着いてから、馴染みのお店にでも寄って帰ろうかと思ったけれど、そう言えば「塔」が届いているかもしれないとまっすぐ帰る。いや、コンビニで冷やし担々麺買いました、はい、すみません。

「塔」はやっぱり届いていて、今回は第14回 塔短歌会賞・塔新人賞の発表号だった。僕は出してないけれど、受賞作や選考座談会を読むのが楽しみ。

今、笹井宏之賞の50首連作に取り組んでいます。日々、くたくたになるまで歩きながら、自分に向き合っています。あと、自分が住む東京という街にも。これはきっと、島根の「書架 青と緑」さんで行われた俳人・鈴木総史さんの第一句集『氷湖いま』刊行記念トークイベントの影響。見逃し配信で観てからずっと考えている。東京ってなんだろう。





2024年6月9日日曜日

【日記15】うたふるよる〜「'87 1 1」



嬉しいことは続くもので、徳島の「泊まれる本屋 まるとしかく」さんでの歌集取り扱いが始まった喜び冷めやらぬ中、今度は僕の好きな「うたふるよる」のお二人が、僕のこれまでの3冊の歌集を開きながらXのスペースでトークをしてくださるとのことで、今から待ち遠しいです。

「うたふるよる」は常盤みどりさん、みさきゆうさんによる「皆さんの短歌に感想をお伝えする企画」です。これまで2023年から約1年かけて、1名ずつ、10名の歌人の作品について丁寧に感想を述べられてきました。

僕が初めてお二人のスペースを聴いたのは鯨庭さんの『言葉の獣』というコミックの紹介と感想の回でした。それを聴いて僕は翌日にはコミックを買いに、本屋さんへ行ったのでした。この時から、僕はお二人の感想を述べる態度と姿勢を尊敬し、信頼しています。なぜかといえば、作者への深いリスペクトと、無料公開されていない部分は話さない、という配慮が徹底されていたから。確か出版社へも確認を取ったとおっしゃっていたと思います。

ちなみに毎回、日程は内緒で、僕の歌集の紹介回に関しても今のところ6月下旬とだけ発表されています。この「気づいたらやってた」があるかもしれないのは不思議と嬉しい。例えばラジオとか生放送の番組を冒頭10分逃してしまった時、一体最初の10分はどんなことをやっていたんだろう、とずっと記憶の中に残っていく。欠けることによって、人は多分補完しようとあらゆる感性と気持ちと知識を注ぎ込み、自分の中で育てていく。なぜか途中の巻だけ家にあった漫画とか、重ねて録画されて半分くらい消えてしまったビデオテープとか、子どもの頃はよくそういうことがあった気がする。それできっとだいぶ想像力や妄想力、物語を自分で作っちゃう力を身につけてきたのだろうな。とは言いつつも、「うたふるよる」は録音が残るので聴き逃しても大丈夫です。

当日、あるいは録音は、Xアカウント:うたふるよる からよろしくお願いします。

話は変わって、6月5日、祖父が残してくれたカメラの電池を入れ替えたら、ちゃんと動いた。まだフイルムは入れてないので写りがどうなるかは分からないけれど。調べてみたらフイルムって今すごく高いんだね。びっくりした。こ、これは、なんかもったいなくて全然シャッター切らなそうだな。まぁ、とにかく1つ買って撮ってみて、現像してみようと思う。写真に入るのであろう画面の日付が、電池の入れ替えでリセットされて「'87  1  1」と表示されていた。ネットで調べたら、2019年までだそう。変な日付の入った写真が、これから生まれてくるのだと思うと面白い。

マンションの外壁工事の足場がやっとなくなって、部屋に明かりが入るようになった。そうだ、この部屋はこんなに明るかったんだと嬉しくなった。工事中に元気をなくした植物たちもなんとか復活してほしい。


2024年6月2日日曜日

【日記14】最近の読書〜徳島

『生成と消滅の精神史』をようやく読み終えた。4月の終わりに読み始めたから1ヶ月かかったことになる。最近の読書の中ではダントツに長い。第Ⅰ部西洋編の後半に入る第3章あたりからほぼほぼ理解できなくなってきて、でもなんとか我慢して第Ⅱ部に入れば日本編だからまた少し理解が追いついてくるだろうと思ったら、夏目漱石の話になった段階でもう全く分からなくなった。書いてあることが理解できないまま文字だけを追いかけるという状態が多分半月ほど続いた。もうカバーを外して本棚に挿してしまいたかったけれど、〈「心を持つことのコスト」〉という文字を見たとき、この時代が向かおうとしている先がかすかに、おぼろげながら、感じられた気がした。多くの、そして大きな役割を担いすぎている「心」から、人々は解放されたがっているのかもしれない。確かに「心」なんてものがなければ、楽だろう。でも、いつか「心」を手放す時がきたとして、楽になれたという実感や快楽はそう長く続かないのではないか。この、楽というのはなんだろう、どうして楽になろうとしたのだろうかと、人々は再び「心」を手に入れる長い旅に出てしまう気がする。ならばきっと僕らは今、人々が新たな旅に出るために「心」を手放していくその途上にいるのだ。その中で引き裂かれていく人々を、何は見放し、何は繫ぎ止めるのか。そして自分はどうか。6月はそんな風にスタートを切ることとなった。

少し戻って、5月。徳島にある「泊まれる本屋まるとしかく」さんに歌集を置いていただけることになった。これはもうひとえに徳島の友人のおかげ。嬉しくてみんなに言った。店主さんは本と相談しながらお店のどこに置くか決めてくださるとのこと。きっとこれまでもそうやって出来上がってきたお店なのだろう。僕から離れて、まるとしかくさんの中で、その街の中で、歌集たちはどういう役割を与えられるのか、どういう存在になっていくのか、自分の歌集が環境からどんな要請を受けてどう変化していくのか、それがとても楽しみ。