2025年3月6日木曜日

【日記53 ツール・ド・松山編4】二日酔い〜いよいよ電車は




楽しかった夜が明けて、少し、二日酔い。ホテルの部屋から見える空には船団のような雲が浮かび、まだ上りきらない太陽が片一方からだけ今治の街を照らしていた。
朝食をとるためにバイキング会場へ降りていく。ご飯と味噌汁とスクランブルエッグやベーコンなどを少なめに食べる。
食後に温かいコーヒーを飲みながら、今日の旅程を確認する。
今日の移動はそれほど長くはない。
今治駅から松山駅まで予讃線で約1時間ほどの移動。特に指定の時刻もないし、切符を買ってあるわけでもない。午前中はぶらぶらと散策できる。それに行ってみたい本屋さんもあった。

その本屋さんは「森」という。
今治駅から今治港へ向かって15分ほど歩いたところにあった。木造二階建ての民家で、町並みに溶け込むその佇まいに何度か通り過ぎてしまっていた。やっと見つけた時も今ひとつ自信が持てなかったが、入り口にはためく暖簾が強風に裏っ返しになっているのをしばらく待って、ぱたりと落ちてきた時にちゃんとあった「森」というロゴに、「あ、ここだここだ」とガラス戸を引いて中に入った。
玄関で「こんにちは」と声を掛けると、奥からスタッフの方が来て迎えてくれた。上り框が高く、まるで人の家にお邪魔するような感じ。風が吹き荒れ、たまに雪が舞う外の世界とはうって変わって、しんとしている。ガラス戸一枚隔てただけでこんなにも静か。僕と、スタッフの方の声と、立てる音。小さく流れている音楽、これは、レコードだろうか。時折ガラスが震え、外で何かが倒れるか転がるかする音。ゆっくりと棚を見ながら、乾いた畳を踏みしめる音。何周も何周も棚を回って、ほくほくした気持ちになる。
喫茶メニューがあるようだったので、窓際に座ってホットコーヒーをいただいた。
本の話を皮切りに、スタッフの方がいろんなことを教えてくださった。
築70年ほどのこの民家は、もともと鉄工所の社長さん宅だったとのこと。改装やリノベーションもしておらず、ほとんどそのままで利用しているのだそう。新刊も古本もあり、蔵書の一部は開店の際に、今治の町で長年営んできた古本屋さんから「廃業するから、蔵書もらってくれない?」とその蔵書を譲り受けたものらしい。四国にまつわる本を集めた棚や、和田孤村『伊豫郷土文學選』などに、色濃くその名残がうかがえた。
「森」は、2023年オープンの「遊べる古民家古本カフェショップ」で、多目的スペース・今治ホホホ座が運営している。イベントがないと開かないスペースではなく、いつでもふらっと行ける場所があるといいよねという思いがきっかけで、「森」という本屋さんは生まれたという。
「今治に雪が降るのは珍しいですよ。南予の方は今大変なことになっているらしいです」
「えー!!四国は割と温暖なイメージがありました」
「そう、めったにないです、こんな雪。風が強いとすぐ瀬戸大橋は電車止まりますよ」
「えっ、やばいなぁ、明日、松山から瀬戸大橋を通って名古屋まで行こうと思ってるんですよ」
「いや、実は私も明日東京に向かう予定で。電車は止まる可能性があるので、バスで福山まで行くことにしました」
「あ、それ昨日僕が通ったルートの逆向きですね」
なんて、ちょっと明日以降の移動に不安がよぎりつつも、まぁ、瀬戸大橋を渡れなかったら仕方ない。気ままな旅なんだから、松山か高松でもう一泊すればいいやと考えた。
焼き鳥のことも教えてもらった。なぜ、鳥皮を串に刺さず、鉄板で、しかも押し付けて焼くのか。
それは、今治の人が、せっかちだからだそうだ。
串に刺してる暇があったらそのまま焼こう、早く焼けるように押し付けよう、そんな感じだそうだ。焼きあがった皮を鉄板からそのまま口に運んでハフハフとする人のイメージが浮かんだ。
コーヒーを2杯いただいて、スタッフさんとお互いの明日の旅程の無事を祈りつつ「森」をあとにした。
吹雪いている。天候がこれ以上悪くならないうちに松山へ向かおう。風に押し戻されそうになりながら、顔を伏せていたせいでほとんど前を見ずに駅まで歩いた。
ホームで待つのは寒いので、ギリギリまで改札の前の椅子で待っていた。いざ予讃線の出る二番線ホームに上がろうとすると、階段にまで雪が吹き込んできていて、電車はとりあえず出るようだけれど、松山はどうなんだろう、たどり着けるのだろうか、なんて思っていた。
ところが、電車が走り出した瞬間、今治駅のホームすら出ないうちに、いきなり晴れた。何かが雲をがしっとつかんでちぎったように、遠くの空に暗雲を残して、あたり一面、真っ青な空が広がってしまった。
あれー、なんて心の中で声をあげた。同じ電車に乗っていた他の乗客たちも、同じくらいびっくりしたんじゃないだろうか。眠りかけていた斜向かいの人が起きて、一瞬、何が起きたのか理解できずにじっと窓の外を見ていた。めちゃくちゃ乗り過ごしたか、異世界へ来てしまったか、みたいな顔をしていた。

松山へ向かう予讃線は、愛媛の海岸線を走る。
電車の照明が落ちたのかと思うほど、海は明るかった。親父が昔、写真に撮った海だなぁ、これが。自転車を持って正面を向いて映るつもりが、シャッターのタイマーが早く降りてしまって、自転車に手を添えて横向きに写り、あれ、ちょっとエモいんじゃない?みたいな仕上がりになった写真。親父はそれが余程気に入ったのか、Facebookの写真にずっと使っていた。

さぁ、いよいよ電車は松山駅へ。
松山城も道後温泉も寄らずに、大街道の、父の行きつけだったお店、この旅の一番の目的地へ。