2024年5月28日火曜日

【日記13】神宮球場吟行〜生まれ変わっても短歌やりたくないくらいやる


5月26日、翌日歌会で「神宮球場で六大学野球を観戦しながらの吟行」を敢行した。2週間前の時点で天気予報には雨マークが付いていたけれど、毎日眺めていると、曇りマークになり、また雨マークがつき、白い曇りマークになり、と大気の流れを感じることができた。当日は写真の通り、すごい晴れ。日焼け止めを塗るという考えのない人間なので、2時間程度の観戦で顔と腕と膝が真っ赤に。

試合カードは立教大vs東大。初回から立教大が2点を取ってリード。東大はなかなかヒットが出ず、僕らは歌会会場へ移動するべくゲームセットを見ずに球場を後にしてしまったが、5-0で立教大が勝ったことを移動中の電車で確認した。

1人2首、球場から会場までの約40分ほどの移動の間に提出してもらい、詠草をみんなにスプレッドシートで共有。詠草集は各自手書きで、選は行わないいつもの「一首鑑賞スタイル」で互いの目の付け所の違いや、各人のこれまでのスポーツとの関わり、スポーツを詠んだ先行歌(いつも事前にテーマに沿った作品を集めたレジュメを作成している)との比較などを通してテーマを深めた。



裏口感すごい神宮球場ライト側の入り口


外苑の銀杏並木はこんなに緑

次回のテーマは何にしよう。そういうのを考えるところからもう次の歌会は始まっていて、だからこそ楽しい。もう7回目となったけれど、主催するのはいつも大変。でも、慣れて、小手先でやってしまってもいけないと思う。

時を同じくして、同じ日に、ラグビーのリーグONEの決勝が隣の国立競技場で行われていた。リーチ・マイケル率いるブレイブルーパスと現役引退を発表した堀江翔太を擁するワイルドナイツ。東芝とパナソニックで電気屋対決。遅ればせながら録画で試合を観た。

試合は、ブレイブルーパスが勝利し、リーチ・マイケルがキャリアの中で初の「優勝」を手にした。今まで優勝したことなかったなんて、驚き。一方、ブーツを脱ぐ(ラグビーで選手を引退することをそう言う)堀江翔太は、試合後のインタビューでこう語った。


「生まれ変わってももうラグビーはしません。十分、もうそれくらい十分ラグビーしてきて、幸せなラグビー人生歩めてきたと思う」

僕も、生まれ変わっても短歌を詠まなくていいくらい今世で短歌に打ち込んでおこうと思った。でもどうすればいい? どうしたら、そんな風に、もう十分だ、って言えるだろう。芸術や文芸に終わりなどないと言うけれど、本当だろうか。一生続ける、なんてこと言ってないで、もうダメだ、もう無理だ、もう十分だ、もうやりたくないって思いたい。



2024年5月25日土曜日

【日記12】高校時代からお付き合いのある〜心を動かされた

5月19日、文学フリマ東京。無事に出店を終えることができました。実は文フリのちょっと前から高校時代からお付き合いのある気管支喘息が出てました。もう夜も苦しくて眠れないし、仕事も集中できないしで疲労も溜まる中、なかなか思うように回復せず。両隣のブースの方に咳はコロナなどの感染症ではなく喘息であること、かなり咳き込むことがあるのでご迷惑をかけること、などを最初に謝りました。どちらのブースの方も優しい言葉とお気遣いをくださり、あまり肩身の狭い思いをすることなく過ごせたので、本当に救われました。

新刊の『互いの窓に降りしきる』はたくさんの方に手に取っていただけて、感謝感謝です。ブースにいらっしゃった方には、一言二言くらいは必ず声をかけるようにしていて、SNSや何かで僕のことを知っているのか、詩歌をやっている人なのか、などなどささやかながらも交流を持つことができて幸せな時間となりました。その中に1人、最近漢詩をやっているという方がいて、つい前のめりになってしまった。「来てるぞ、漢詩!」と心の中で叫びました。




看板さえイベント側が用意した貼紙に頼ったブース作り


3月末でTwitterを閉じると宣言しつつ、4月以降もDMでのやり取りが完結していないところもあったのでアカウントを残していました。文フリでの宣伝やお礼はやはりTwitterでしかできない面もあったので少しだけ頼ったところ、物の見事にTwitterを再開してしまいました。今後はちょっと距離を置きつつ、気楽にできる範囲でやってみます。

そうそう、文フリ当日に江古田にある「百年の二度寝」の店主さんが歌集を受け取ってくださったので、今年もまたお店に置いていただいております。嬉しい。

嬉しいといえば五反田駅からほど近い不動前というエリアにある「フラヌール書店」さんで作っていただいた棚!




詩歌コーナーで面展開!!


紹介ポップもさることなら、萩原慎一郎さんの『滑走路』を並べていただけたことが恐れ多くもとても嬉しい。『滑走路』は、僕が短歌を始めるきっかけをくれた本。短歌の世界に導いてくれた恩人であると、僕は萩原さんのことを思っています。


抑圧されたままでいるなよ ぼくたちは三十一文字で鳥になるのだ
/萩原慎一郎『滑走路』


歌作とはこころの森に棲む鳥の声音に耳を澄ますことなり
/同


創作の活力として君がいる 電車の窓の向こうの未来
/同


ライバルであれども意見交換をしあえる無二の親友である
/同


空を飛ぶための翼になるはずさ ぼくの愛する三十一文字が
/同


文語崩しの口語短歌を作るべく日々研究をしているぼくだ
/同

萩原さんは短歌へ向かう自らの姿勢もたくさん歌に残している。非正規や恋の歌とともに、短歌を愛する者として、1人の詩人として葛藤する姿にも僕は心を動かされたのだと思う。

誰か、僕の歌集の隣から『滑走路』を手に取ってくれたらな。




2024年5月18日土曜日

【日記11】文フリ東京〜話を聴きに出かける


文学フリマ東京38がいよいよ明日に迫りました。今回は史上最も準備をしていないような気がする。これはまだなんにも準備をしてないのではなくて、準備することが少ないということ。今回はフリーペーパーもないし、共同出店者もいないので、あまり考えることもなくて困ってるくらいだ。こんな感じだったっけ? と。だからなのか、文フリについて色々書いてみようと午前中にこのブログを開いたのに、ほとんど進まずに夕方になってしまった。

ということでただの日記にしよう。

5月11日の夜、小津夜景さんの『ロゴスと巻貝』刊行記念トークイベント「小津夜景×下西風澄 『ロゴスと巻貝』をめぐる風景」を三軒茶屋の書店twililightさんへ観に行った。『ロゴスと巻貝』を片手に二人の話を聴くのは、とても心地よい体験だった。メモを取っている人がいたり、対話にうなずきながら耳を傾けている人がいたり、外の道をバイクが音を立てて通り過ぎて行ったり。夜の似合うイベントだと思った。

昔、どういう企画だったのか今もわからないままなのだけど、ビルの屋上にある温室で月を見るというイベントに行ったことがある。当時、23歳くらいだったから、もう10年以上も前になるのか。渋谷からとんでもなく長い距離を歩いて、3階建てくらいの小さなビルにたどり着き、屋上へ上がり、すでに知らない人たちが思い思いに月を見上げている中へ入っていった。急に思い出したので脈絡もなくそんな話を書いてしまったけれど、あの夜はあの後、自分をどういう自分にしたのだろうか。自分はあの夜をどう自分の中にしまい、あるいは放し、それがなんのきっかけになったのか。

経験というのは、忘れている間もなんとなく自分にまとわりついているもののような気がする。むしろ忘れている時の方が強く作用しているものかもしれないなんて思ったりもする。思い出すと、それは経験でしかないが、忘れると、経験以外の何かに形を変える気がする。

5月12日の夜、今度は下北沢の本屋B&Bで「小津夜景×山本貴光 本という地図、読むことと書くこと」へ。2日も連続でいい夜を過ごしてしまった。
こんな風に、僕はたまに人の話を聴きに出かけることがある。そのほとんどが、本を書いた人で、読んでいるうちに、あぁ、この人の話を聴いてみたいなと思って、それを覚えていて出かけていく。僕は本だけど、それが音楽だったり、漫才だったり、写真だったりする人もいるんだろうな。






2024年5月17日金曜日

【月詠】「塔」2024年5月号

僕が所属している結社の結社誌「塔」5月号が届きました。

今号では永田和宏さんの欄で選をいただいております。


小包に冬の隠れた跡のある冬も二月は寒いのだろう

まなうらの夜風に触れる心地してやり直せないこともしようか

平日を流れる川に会いにゆくそこにしかない本読むひかり

ビル群を使って風はみずからをくしけずりたり春にそなえて

出し抜けの開花予想にまぎれ込み往復書簡消息を絶つ

ひかりからひかりへ手渡しされるもの照らしてほしい人の横顔

休日の君に似ているものがある商店街のはじまるところ


選歌後記でビル群の歌を引いていただきました。楽しい発想だという評とともに、結句が余分との指摘。確かに、言いたいことを言い切れずに持て余した七音だったようにも思う。春に備えていることを自分の中で納得できていたら、結句には持ってこないで四句にしたかもしれない。あとからくっつけたと思われても仕方ないし、せっかくの発想を深掘りできなかったことが悔やまれます。

前の4月号で中村成吾さんによる「二月号 若葉集(梶原さい子選)評」の中で一首引いていただいていたのを読み落としていて、紹介できていなかった。改めてここでお礼と紹介。


電車には種類があってしばらくはあまり遠くへ行かない電車


二月号掲載の短歌なので、11月頃に郵送したはずだから、多分、島根から帰ってきて間もない時期に作ったものだと思う。島根まで、飛行機は使わずに陸路で行った。帰りも4時間ほどかけて特急と新幹線を乗り継いで帰ってきた。そのあとしばらく遠出の予定がなく、電車といえば通勤電車ばかりだったので、浮かんだのだと思う。そんな背景があるからこそ、中村さんには不思議な広がりのある歌と評していただいて嬉しかった。

さて、今号でも「三月号 若葉集(岡部史選)評」で山桜桃えみさんに一首引いていただきました。


なんとなく持ち主に似てきたような君の洗濯物を干したり


今号掲載の最後の歌も、「君と似たもの」についてだった。無意識に、探しているのかもしれない。それから山桜桃さんには以前、短歌ユニットsankakuが毎号やっている一首評のリレーでも取り上げていただいたことがあり、今回は誌面で、とても嬉しい気持ち。ありがとうございます。

7月に予定していた文学フリマ香川への参加は、抽選に漏れたので取りやめにして少し落ち込んでいたけれど、そういえば「塔短歌会70周年記念全国大会 in 京都 2024」があった! と思い出し、沈んだ気分が盛り返してきた。もうなにがなんでも京都へ行くよ。楽しみができたので、進んでゆけます。

2024年5月11日土曜日

【日記10】同じ時代に〜『ストレンジオグラフィ』

5月5日、なぜか急に、仲の良かった人や、昔ずいぶん一緒にいた人、親、身近な人、友達、妻、最近知り合ったばかりの人も、あらゆる人たちと行きていく時間はズレていくものだということを思った。どんなに親しい人とも必ず別々の船であり、しかも互いの船の下にはさらに違う流れがある。今作っている短歌の連作のせいか、それとも、ただ暇なのか。様々な人の顔を思い浮かべ、また、会ったことのない人は名前を思い、同じ時代に生きていることをしばし喜んだ。

5月6日、初めて五島美術館に行った。東急線の上野毛駅にある。展示は「春の優品店 王朝文化へのあこがれ」と題して、平安時代の古筆などが並んでいた。中でも源氏物語絵巻 鈴虫一・鈴虫二・夕霧・御法の前ではたくさんの人が足を止め、列の流れはゆったりとしていた。美術館の裏手には庭園があり、木が鬱蒼として、思わず「雷神の少し響みて……」なんてやりたくなるような緑の世界だった。それで『言の葉の庭』を思い出し、さらに『秒速5センチメートル』を思い出した。少し前に実家に片付けに行った時、そのDVDがまだ自分の部屋だったところに残っていた。ある夜に新海誠の作品について歌友と喋ったことがあって、今の家に持ってこようか迷ったが、結局は置いてきた。DVDを観るのも、プレステを出さないといけないので一苦労なのだ。でもDVDがあることで、「持ってる」という感覚がある。サブスクの「いつでも観られる」とはまたちょっと違うが、それもまた「いつでも観られる」という感覚。それは、本が本棚にあって、いつでも開けるというのに近いだろうか。思い出が、作品にも、DVDという「物」にも等しく付いている。

5月8日、朝起きたら、文フリ香川抽選漏れのお知らせが届いていた。残念。抽選の結果が出てから飛行機のチケットやらホテルやらの手配をしようと思っていたので、なんとなく、夏の香川行きは潰えそうな予感。行ければ12年ぶりだった。とある歌集の批評会で知り合った歌人の方に、文フリ前日に歌会をやるからぜひにと誘っていただいていたことが心残り。その心残りが背中を押してくれたのだろう、ビックサイトに会場が変わるからと二の足を踏んでいた冬の文フリ東京に申し込んだ。そしたら抽選対象外で、すんなりと参加が決まった。

5月10日の夜、小津夜景『ロゴスと巻貝』の「本当に長い時間」という最後の章を読んでいて、なぜか管啓次郎『ストレンジオグラフィ』のラストを思い出した。なぜだろう。読んだのはもうずいぶん前で、内容もほとんど覚えていないのに、全く諳んじることもできないのに、ラストに少し似た雰囲気を持つ一節があった気がしてきた。本は今手元になくて、実家にあるはず。今度探して、答え合わせしてみる。

2024年5月8日水曜日

フラヌール書店さんで歌集をお取り扱いいただくことになりました

とても嬉しいお知らせ。この度、東京の不動前にあります「フラヌール書店」さんで、歌集のお取り扱いをしていただくこととなりました。

小津夜景さんの『いつかたこぶねになる日』と出会い、それから立て続けに仕事帰りに小津夜景さんの本を買いに走ったフラヌール書店さんに自分の歌集が並ぶ日が来るとは!!本当に感謝してもしきれません。

「フラヌール」とはフランス語で「遊歩者」と訳すことが多い言葉で、〈歩きながら考える〉といったニュアンスだそう。書架に並ぶ本のジャンルは幅広く、お子さんもよく訪れているのを見かけます。包まれるように作品を堪能できるギャラリーもあり、気づくと数時間経っているようなお店です。

書棚も全て店舗に合わせたセルフハンドメイド!!シンデレラフィットを超える美しさは、ベビーカーもゆったりと通れる通路幅を作り出しつつも、スカスカな感じのない絶妙な量感。どうぞぜひ、みなさま、訪れてみてください。本とのいい出会いがあると思います。


書架の一等地に大々的に並べてくださいました

左のスペースには、紹介ポップをおいてくださる予定だそう。楽しみ。

2024年5月4日土曜日

【日記9】気づいたら〜髪を切った


気づいたら、日記のメモを書かなくなっていて、つられて日記も書かなくなっていた。あんなに毎週ずっと憑かれたように書いていたのに。たぶん、これまでのやり方や、そもそも自分の日記自体がここの場所に合わないのかもしれないとも思った。もう少し自由に、書き留めるだけでなくいろんな考え事を、ここでしていくべきなんだろう。noteやTwitterからここに自分で引っ越してきたのだから、ここに求められることに自分の生活(日記)を合わせていこうではないか。

4月16日、宗田理が亡くなったことをラジオで聴いた。『ぼくらの七日間戦争』を読んだ小学生だったあの日から、自分は確かに「ぼくら」の一員である。今もまだ冒険の途中である。初めて自分のお小遣いで一人で本屋に行ってどうしても欲しくて買ったのが『ぼくらのC計画』だった。訃報に触れて、感情は行き場を失い、実家に残してきたぼくらシリーズの角川文庫の背表紙がずらりと並ぶ様を思い出した。

4月26日、人と会う約束があり、池袋に行った。早くに着いたので時間まで暇をつぶす必要があったのだけど、人のいない場所が思いつかず、たまたま通りかかった東京芸術劇場に入ったら、エントランスの椅子が一個だけ空いていた。そこに座って、小一時間、スマホで面白そうな本がないか探しているうちに時間は過ぎていった。この時見つけたのが、永原康史『日本語のデザイン 文学からみる視覚文化史』だった。これはまだ買ってなくて読めてないのだけど、必ず読みたい本。

4月27日、翌日歌会は6回目。毎月続けられている。自分で開いているけれど、自分よりもきてくれる人たちが心地いいように、と考えている。まぁ、たぶん自分が一番楽しませてもらってるんだけども。笑

相変わらず、歩いている。仕事の行き帰りを利用して合計2時間ほど。たぶん、暇なんだ。「いいからとにかく歩け」と何者かにそそのかされ、促され、望まれて歩いている。そんな気がしている。とにかく起伏の激しい道を選んで、縦にも横にもジグザグに会社へ向かい、家に帰る。あまり飲みに行かなくなった。

新しく作った歌集『互いの窓に降りしきる』が島根県の松江にある「書架 青と緑」さんに到着した。これから続々と、大阪の豊中市庄内にある「犬と街灯」さん、東京の高円寺にある「そぞろ書房」さんにも届く予定です。他にもまだ予定している書店さんがあるので、準備整い次第、お知らせします。

5月3日、髪を切った。短く、夏っぽくした。母に父の分と合わせて新しい歌集を渡した。もう東京は夏だ。