2024年8月31日土曜日

【日記22】接骨院の先生〜新しい手帳


目黒川。秋めいてきているようで、しっかり暑い。

8月24日、知り合いの接骨院の先生から「来週夏休みとるよ〜」という連絡を受けたので、その前に急遽体を緩めてもらう。塔の全国大会へ向かうために3時間ほど新幹線に乗らなければならないので、念のために。

8月25日、翌日歌会。テーマ「家具」で自由に一首。歌会の後は参加してくれた方達と俳句甲子園を観た。しっかりと観戦したのは今回が初めて。ディベートでは、相手の句をしっかりと味わい、鑑賞したあとに言葉の効果を質問し、質問された側はその指摘を受け止めつつも、こう鑑賞して欲しい、ここを味わってほしいと返すといった、まさに言葉の攻防戦が繰り広げられかなり聞き入った。
決勝戦を見届けると、西日の入る時間になったので解散。片付けをしながら授賞式を観た。
同じ日に、鈴木ベルキさんが私家版歌集『拾わないコイン』販売の発表をしていた。購入したので、届くのが楽しみ。サイン入れてもらいたいなぁ。

8月26日、台風10号の作り出す雨雲レーダーの青と緑と赤の巨大な渦を見ながら、全国大会がどうなるのか心配になり始める。結社の先輩からも心配の連絡が来て、僕も台風の進路予想を見ながらうーんと腕組みしてしまう。

8月27日、週末の塔の全国大会の開催可否について「29日の20時までに判断する」という発表がホームページでなされた。うむむむ。

8月28日、帰りに近所の焼き鳥屋で一杯。カウンターで台風のニュースを観ながら。お通しの出汁しみしみ厚揚げが美味しくて、それだけで一杯目の生ビールがなくなる。今後もこのお店は登場しそうなので、焼き鳥屋「S」としておく。でも、この前、担々麺屋Sが登場したばかりだな。そして焼き鳥屋Sのあと、いつもの飲み屋Sにも寄ったのだった。

8月29日、全国大会の開催可否発表の前に、30日から予約していた京都の宿にキャンセルを入れた。程なくして東海道新幹線の計画運休が発表される。新幹線は当日に自由席の券を買おうと思っていたので払い戻し手続きはなし。そして仕事帰りに担々麺屋Sで20時の塔の発表を見る。1日目の歌会のみ中止で懇親会からは開催とのこと。でも31日もきっと新幹線は動かないだろうと思い、参加を諦めた。店を出る頃、土砂降り。商店街のアーケードの中なのに、傘を差してもずぶ濡れになる程雨は吹き込み、漏れ、荒れ狂っていた。

8月30日、今日から夏休みの予定だったのにな、と思いつつ出社。途中で猛烈な雨にやられる。前日から分かっていたことだけれど、会社の役職者たちからは何の注意喚起もなく、地元の酷い風雨で遅刻しそうと連絡してきた社員がいるにも拘らず、リモートに切り替えるなどの判断もない。しびれを切らし、早めに会社に着いていた自分から「リモートのためにこんなシステムやアプリがありますので、必要な人は教えてください、自分が今社内にいるので設定ができます」という内容の連絡を流したら、上司に会議室に呼び出されて「この内容では意味が分からない、〇〇さんとかは理解できてないと思う」と告げられた。パソコンやネットのこと、分からない人はそりゃあいるけれど、何で「分からない」で済ませてしまうんだろうか。僕だって今の業務に就いた時、分からないことだらけだったから勉強したのに、前任者がすでに退職していて分からなくなってしまったことも一つずつ紐解いて解明していったのに。「分からない」で済ませないで欲しい。
朝から巨大なもやもやを心に抱えたまま定時まで過ごすはめになった。
そして担々麺屋Sで夏休み取り直しになったことの気を晴らすためにメガハイボール!担々麺屋なのになぜかあった400gの巨大ハンバーグ(メニューにない)を食べて、お腹も心も満たされて、いつもの飲み屋Tへ。金曜ロードショーのラピュタをしっかり最後まで観て帰った。

8月31日、手帳を使いきり、同じシリーズの新しい手帳を開く。


2024年8月24日土曜日

【日記21】秋味〜ほんのり涼しい

8月5日、スーパーで金麦の秋味に出会う。「おいおい、今年もちゃんと秋があるだなんて、どうしてわかるんだい?」とツッコミを入れながら買うも、本当は心の底から「秋よ、あれ!」と思っている。
冷蔵庫の豚肉と長ネギの青い部分と卵で炒め物を作って、ご飯の上に乗せて食べたら最高だった。夕飯のあとに奥さんがイヤホンでハウスを聴きながら2時間くらいずっと無言でノッていたのも最高だった。きっとここ最近観ていた『地面師たち』のオープニングが石野卓球の音楽だったからだろう。うちの奥さんは昔CDJをやっていて、教えてくれていた師匠もいたらしい。機材は結婚前に手放してしまったけれど、いつかまたやってほしいなって思っている。

8月6日、地元の担々麺屋さん「S」にまたよく行くようになった。そこの店主は、たまに会うとそのたびに趣味が変わる。モデルガンを磨くのにハマってると思ったら、次は軽トラのラジコンの改造、そして最近はハングルの勉強と、会うたびに違う世界の話をしてくれるので面白い。今日もまた肝心の担々麺を食べず、飲むだけ飲んで、餃子と野菜炒め(メニューにない)を食べて帰った。

8月7日、父、退院。6月末からのひと月が永遠のようにも感じられていた。緩和ケア病棟の面談をしに病院を訪れた時、待合室で「京都である結社の全国大会に行きたい」と言ったら母は「行ってきな。どうにかなるよ」と言ってくれた。たった数日とはいえ、呼ばれてもすぐに帰れない場所へ行くのは気が引ける思いだったが、母の言葉で、行くことを決めた。
父が退院して、一番のストレスだった病院の医療連携室とのやり取りがなくなったことで、ようやく心が晴れた。父を病院から実家まで連れて帰って、しばらく居て、電車が混まない夕方前に自分の家に帰ってきた。たった半日がやけに長かった。疲れて、でも解放感があって、でも大変なのはこれからなのかな、とかいろんな気持ちと気分と考えがない交ぜになって、気づいたらうつ伏せになってハイボールを飲んでいた。不思議な夕方だった。

8月8日、会社を14時過ぎに出て、実家へ。訪問診療の先生と看護師とケアマネ、支援員とがみんなで家に来てくれることになっていた。途中で短歌特集で話題の「文學界」を手に入れてから電車に乗った。いっぺんに大勢の人が家に来て、親父も疲れるんじゃないだろうかと心配していたが、逆にバラバラに来ないで、全員で予定を合わせて来て用事をいっぺんに済ませてくれたことがすごくありがたかった。こんなにも協力して助けてくれる人がいるんだということが分かって、少し安心した。心がまた少し晴れた。そして気づいたら深夜2時近くまで飲んでいた。

8月9日、飲みにも行かず、会社からまっすぐ帰って徳島の「泊まれる本屋 まるとしかく」さん開催のトークイベントをオンラインで視聴。夏葉社の島田潤一郎さんと秋月圓の秋峰善さんの二人の話に、少しお酒を飲みながら家で耳を傾けた。

8月10日、土曜日、休みの日、朝から晩までずっとだらだらしていた。

8月11日、日曜日、ぼけーっとTwitterを眺めていたら、郡司和斗さんが『遠い感』批評会の席がまだあることをおしらせしていたので、すぐに連絡したら入れるとのことだったので急いで会場へ向かった。行きたいと思いつつも、親父のことがあって当日キャンセルすることになったらと思うと申し込めなかったので、これ以上ない幸運だった。ちゃっかり懇親会も出て、そのあとは少し振り返りたくて、一人地元のいつもの飲み屋「B」へ。

8月12日、月曜日だけど山の日の振替休日で休み。サラダ記念日と中村森さんの歌に思いを馳せていたらすっかり1日が終わりかけていた。

8月13日、結社誌「塔」8月号が届いてることを見越して、どこにも寄らずに家に帰った。期待通り、ちゃんと届いていたので、それを連れていつもの飲み屋「B」へ。

8月14日、最近、座ってられないほど体の調子が悪く、湿布を3枚貼って眠る。

8月15日、「文學界」は短歌特集以外のページも面白くてのめり込んだ。巻頭作品の川上弘美「くぐる」はすごく面白かった。とても不思議な読み心地。

8月16日、またしても「文學界」の話になるけれど、川上未映子のインタビュー「才能を見逃さないために」を電車の中で繰り返し読んだ。

8月17日、実家へ親父の様子を見に。奥さんも来てくれた。ありがとう。親父はどうやら社会復帰することを考えているようだ。落ち着け。実家をあとにして、疲れ果てたのでいつもの飲み屋「T」へ。お店のテレビで甲子園準々決勝「早実vs大社」が流れていて、店主と常連さんとワイワイ観戦。9回裏、早実の守備、痺れた。

8月18日、先日「七月堂」で手に入れた峯澤典子『ひかりの途上で』を読む。夜に降った真新しい雪の暖かいところを掌にすくってきて包んだような装幀が美しい。

8月19日、ちょっと前から、奥さんが「ぎーんのリューのせにーのーおってー」と歌っているので、何かと思ったら『Dr.コトー診療所』を観たいのだそうだ。観たらええがな。

8月20日、初めて丸亀製麺のうどーなつを食べた。モチモチで美味しかった。そして高瀬隼子『水たまりで息をする』を読む。主人公・衣津実(It's me?)が、自分の夫が風呂に入らなくなったことに気づいて、物語は始まる。夫は、水がくさくて痛いという。今までは平気だったのに、なぜ急に水を嫌がるようになったのか。きっかけとなったであろうエピソードはあるものの、どうしてそうなってしまったかは衣津実にも、おそらく夫本人にも分からない。でも、今まで普通にやってきたことがなんの疑問も持たずに続けてきたことが、ある日を境に、というよりはなんとなく急に嫌になって、その気持ちに歯止めが効かなくなってしまうのは、なぜかすごくよく分かる気がした。理解したというよりは身に覚えがある、という感覚。まだ1度読んだだけなので、もうちょっと、もう何回か読んでみたい。

8月21日、スーパーにお米がない。近所でお米が売ってない。困ったなぁ。うちもちょうどお米が切れて、ただ日常のお米が欲しいだけなのに。

8月22日、担々麺屋「S」へ。初めて店主の炒飯(メニューにない)を食べた。これ、これです、こういう炒飯が食べたかったのです!!というくらいの美味しさだった。もともと中華レストランに勤めていたので、中華はもちろん料理人としての腕がめちゃくちゃある人。普段は担々麺屋さんとしてメニューを絞っているのだけれど、ちょっと本気出すとすぐ人の心と胃袋掴んでくるところ、にくいぜ。帰りにアイス食べる。

8月23日、月末の京都での結社の全国大会では、ボランティアもやる予定。炎天下で駅からシャトルバスまでの道を案内するので、よし、と思って出勤時に久々に一駅(30分)歩いた。着替えのティーシャツを持って行って良かった。でも、ちょっとだけ8月の初めの頃に比べたら風が出てきたかな。朝晩はほんのり涼しいです。



疲労と解放感でうつ伏せで飲んだハイボール

2024年8月21日水曜日

【月詠】「塔」2024年8月号

僕が所属している結社の結社誌「塔」8月号が届きました。
今号では真中朋久さんの選歌欄に載せていただいております。

雨傘を忘れた僕を仄白いケモノが背中でこすっていった

夕方の雨はつ夏の半歩前いつものシャツがよく風を吸う

会社から実家へ向かうこれはまだ帰り道とは呼ばれないもの

ひらいたらビー玉の出る抽斗がこんな僕にもまだあるのです

もう少し居てもいいよと言う母と次いつ来るか言わない息子

ヒトの形に折られた僕を展きよく飛ぶヒコーキに折り直す

「塔」2024.8月号

一首目、雨傘の歌は5月に行われた結社の東京歌会で出したもの。選者の方からの評を受けて手直ししました。
さて、今月はついに塔の全国大会。
23年の文フリ京都以来の京都滞在で今から楽しみですが、果たして8月末の京都はどんな気候なんでしょうか。自分としてはやっと夏休みなので、もしかしたら帰りたくなくなって、そのまま旅を続けてしまうかもしれないけれど、それもいいなぁ、なんて思っている。
でも、そういう風に思えるのは、きっとちゃんと帰っちゃうだろうって分かってるからなんだろうな。
でも、帰っちゃうってことは、自分で自分を、信用できていないのかもしれない。
なんてね。

2024年8月12日月曜日

今さらサラダ記念日を引っ張り出してきて「幸せ」について中村森さんの歌と一緒に考えたこと

中村森さんの『太陽帆船』を何度か読み返して、本を閉じる前についまたページを開き直した時、なぜか急に気になった歌があって、ぼーっと眺めていました。

別れても会えなくなっても見えずとも一度出会えばずっと祝祭/中村森

それで、ふと思い出した歌と対談がありました。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日/俵万智

言わずと知れた、もうなんの説明もいらない歌です。
そして対談の方は、書評家のスケザネさんによるYouTubeチャンネル「文学系チャンネル【スケザネ図書館】」で2021年7月6日に公開された「俵万智さん登場!サラダ記念日から未来のサイズまで、全6歌集のお話を聞いちゃいました!」というスケザネさんと俵万智さんの対談です。タイトルの通り、俵万智さんの第一歌集『サラダ記念日』から迢空賞を受賞した第六歌集『未来のサイズ』までの全六歌集をたどりつつ、『サラダ記念日』大ヒット後の地獄のように忙しかったエピソードなども語られる聞き応えのある内容です。
その中で、俵さんがサラダ記念日の歌について、〈「本当にたくさんの人がたくさんのことを言ってくれたので新しいことって、付け加えられないかなと思っていた(テロップより)」〉と話すシーンがあります。そのあとは〈「今回、スケザネさんが「記念日」という言葉・概念は、来年も再来年も思い出そうという未来への志向だし、来年、再来年には今日の日を振り返るという未来と過去、両方への視線のある言葉だと位置づけてくれた(テロップより)」〉と続きます。発表当時から実にたくさんの人が言及し、今や国民的一首にまでなって、意見や評や感想など言われ尽くしたであろう歌にもかかわらず、俵さんに「新鮮」と言わせたスケザネさんの「記念日」への着目、その凄さがよく分かる言葉だと思います。

ところで、この対談は「短歌研究」2021年6月号での特集「俵万智の全歌集を「徹底的に読む」」をベースにしています。それを読んだ俵さんが、Xで〈ぜひ読んで「スケザネって何者⁉︎」と驚いてほしい〉と投稿していることからも、読み、そして語り尽くされてきた自分の作品たちを今また改めて、スケザネさんという新しい世代の書評家が〈徹底的に読〉んでくれることがすごく嬉しかったのではないか、なんて思いました。
さて、「短歌研究」でスケザネさんがサラダ記念日の歌の「記念日」についてどう書いているかというと、〈記念日にしようと決意することは、未来に向けた考え方です。つまり、記念日として設定しておくということは、翌年の七月六日にも一緒に祝おうという、今この瞬間から輝かしい未来を見据えている考え方です〉という感じ。僕の好きな小津夜景さんの『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』より原采蘋「十三夜」の章の一文〈思い出すとは過去がここに届くことだ。思いがけない絵葉書のように。〉をそばに置きつつ、〈記念日の設定は、未来において、過去を思い出す準備をしていることでもあるのです〉とし、動画で俵さんが語ったように〈「未来と過去、両方への視線のある言葉だと位置づけ」〉ています。しかし、〈ただし、ここには大きな危険が伴います。それは、未来でも同じ気持ちでこの記念日を思い出せるとは限らない、という残酷な事実です。たとえば、この「サラダがおいしいといってくれた君」と別れたら、どうなるでしょうか〉と、人との間に記念日を設定することの危うさについても指摘しています。うん、確かに、僕にもいくつか破棄した記念日がありますね。笑

でも、スケザネさんは『サラダ記念日』という歌集は〈未来に向けた眼差しが中心〉であって、〈この記念日が思い出したくもない1日になりうる危険性ということはほとんど考えられていない〉と続けます。確かに。でも〈それほどまで、目の前の恋の中に、キラキラとした未来を夢見ることができている〉とスケザネさんはこの歌の魅力を語ります。ただ、僕は、このサラダ記念日の歌一首だけを見るならば、そこには「未来」への視線もないのではないか、つまり、記念日という言葉を使って未来を設定しているようで、実は今この瞬間の輝きだけが詠まれている歌なのではないか、とも感じました。「この味がいいね」と君が言ってくれた喜びの前では、未来すらないのだと。君がそう言ってくれた今、言ってくれた七月六日、その一点、その一日こそが全てなんだという、人を思う強い強い気持ち、そして「幸せ」というものが一体どういうものなのか、「いずれ」とか「かつて」なんて入り込む余地がない、時間も何もない、本当に一瞬のものなんだと、サラダ記念日の歌というのはそういう歌なんだと、そんな風に思いました。『サラダ記念日』は「幸せ」についての歌集である、なんて言ってもいいのかな、とも。

さぁ、そして中村森さんの歌です。もう一度引きます。

別れても会えなくなっても見えずとも一度出会えばずっと祝祭/中村森

〈出会えばずっと祝祭〉ということは、出会えたことがもう嬉しいし、幸せで、祝祭のようにめでたく、そして祝いたいのだ、ということかなと思います。もしかしたら出会ってもないのかもしれないけれど、〈出会えば〉!、その気持ちは〈別れても会えなくなっても見えずとも〉続いていくものだと中村さんは詠います。「出会い」を起点に「別れる」「会えなくなる」「見えなくなる」未来が想定されている、と同時にあるいは「別れた」「会えなくなった」「見えなくなった」現在かもしれず、そうすると「出会い」は過去へと距離をとります。『太陽帆船』という歌集の冒頭には、連作に属さず一人で立っている一首があります。

帆を揚げる 会いたい人に会いに行くそれはほとんど生きる決意だ/中村森

おそらく歌集のタイトルの元となった歌だと思うのですが、〈帆を揚げる〉のが太陽帆船としてということならば、〈会いたい人に会いに行く〉ことがとんでもなく長く、途方もない、そしてチャレンジングな道のりであると想像できます。中村さんにとって、たぶん、人との間にある気持ちや思いは、とても長くて、途方もなくて、ずっと続いていくもの、そんな感覚なのかもしれません。
サラダ記念日の歌では「幸せ」はたった一瞬のことでした。祝祭の歌では「幸せ」は〈ずっと〉続いている。「出会い」を起点として未来へ、あるいは「出会った」過去から現在まで。この二首の「幸せ」は違っていて、でも、人との間に生まれる同じ「幸せ」でもあって、歌が作られた背景は全く違うだろうけれど、「幸せ」というものを思うとき、二つの歌には響き合い、通じるものがあるように感じます。

そして二つの歌を並べ、スケザネさんの書評を借りてみることで、『太陽帆船』のあとがきを自分なりに理解する手がかりにつながったかなと思います。〈『サラダ記念日』の印象からか、野放図に明るい歌の代表といわれますが、その根底には喜びも悲しみもあり、その上で明るさを選択しているのです〉とスケザネさんは書評の最後で言っています。中村さんは『太陽帆船』のあとがきで、〈青色は〉、〈緑色は〉、〈黄色は〉、〈赤は〉、〈紫色は〉と様々な色について述べたあと〈全色発光体の瞳を出したり仕舞い込んだりするばかり。持たないこともくり抜き捨てることもできないままに。〉と言います。思うには、全部見えている、そしてそれらを無視できない、全てこの瞳には入ってくるんだ、ということが言いたいのではないか、だから距離も長いし時間も長い、つまり、様々なことから選び取って歌にするのが俵さんなら、様々なことを様々なまま歌にするのが中村さんなのではないかな、と。俵さんは「記念日」と一点を切り取るし、中村さんは「祝祭」として「日」のようには絞らない。その違いは、歌の生まれた時代の違いでもあるかもしれないし、そうでないかもしれない。確かなのは、どちらの「幸せ」も、今この時代においても「幸せ」として変わらない、ということ。まぁ、そんなところで、とりあえずこの文章の着地をしたいと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。思いついた瞬間になんの準備もなく書き始めてしまったので、この文章には多くの不足があると思いますが、今は、こんなところです。これから中村森論を始めていく前段階としての、さらにもっと手前の、とっても粗々な雑感、あるいは予感、でした。




2024年8月10日土曜日

【日記20】クーラー効かない〜レテ〜強い励ましの言葉

7月28日、翌日歌会。
親父のことでいっぱいいっぱいの中、いつも以上にメンバーの力を借りて、なんとか開くことができました。クーラーも効かないくらい暑い日でした。歌会のあとはアイスを食べて、飲みたい人は缶ビールやらサワーを飲んで、短歌のことをずっと話していました。

7月29日、小俵鱚太さんの『レテ/移動祝祭日』が届く。家に帰って、ポストに楽しみにしていた歌集が入ってるとお礼を言いたくなる。


たたずまいが、もう

小俵さんが「ナビを無視して」で〈第2回 笹井宏之賞 長嶋有賞〉を受賞されたのが2020年、発表号の「ねむらない樹」Vol.4は2月発売で、僕はまだ短歌をやっていなかった。当然持っていなかったので、歌集を読み終える前に電子版で買い、選考座談会も合わせて読んだ。長嶋有は座談会で<この作品は向日性がある。固有名詞、商品名の選び方がジャストという感じがしました>と言っている。その時代や世代に固有名詞を使ってイメージを伝える、作り出すのが得意な作家といえば村上春樹だと僕は思っているけれど、実は小俵さんも村上春樹の作品をよく読んでいたんじゃないかなんて気がしてる。カティーサーク、マツダ、ペペロンチーノ(スパゲッティ)、アイロン、などなど村上春樹作品では馴染みのあるアイテムが出てくる。もちろん勝手な妄想だけど。
この歌集はこの先の人生で折に触れて読み返すだろうという予感がしてる。


郷土史家になると母へ告ぐ夢の待ちきれなくてするループタイ

耳の穴のサイズは生まれたときのままらしいね、からの横顔祭り

「ちょっとだけ持っててくれる?」と渡されたカバンが重くてまた好きになる

二年空けてまた火のついたその恋を〈鳳凰編〉と呼んでいたこと

ピーコックが坂の入り口と出口のどちらにもあり魔除けなのかな

ナビを無視し続けたまま海へ出た記憶を撫でて眠りたいのだ

うつくしい日に手を繋ぐ 本当にふたりきりだとおもってしまった

棋士のごとくジブリを見せる順番を組み立てながら眠ってしまった

小俵鱚太『レテ/移動祝祭日』(書肆侃々房)


好きな歌たくさんあります。ちなみにピーコックは確かに魚藍坂の上と下にある。高輪魚藍坂店が下、三田伊皿子店が上。聖地巡礼でもしてみようかしら。

8月4日、京急富岡駅の近くに新しくできた「瀾書店」さんへ。僕の歌集を置いてくださっている徳島の「泊まれる本屋 まるとしかく」さんとご縁があるようで、自分も縁を感じて突撃しました。と言っても最初は静かに棚を眺めて、永井宏さんの『夏みかんの午後』があったので購入。そのあとで、色々と徳島のことなどをお話しして、オススメのハンバーガー屋さん「SUN COAST」を教えていただき、ビール飲んで、ハンバーガーを食べて帰りました。

その時に話題に上がった夏葉社の島田さんと秋月圓の秋さんのトークイベントを、8月9日の金曜日の夜にオンラインで視聴しました。歌集を作って、売る。自分のやっていることをガッと支えてもらったような、強い励ましの言葉をいくつも受け取った夜でした。


京急富岡駅前


親父がやっと退院して、疲れ果ててうつ伏せで飲んだハイボール