2025年1月13日月曜日

【日記40】棚卸し〜応募、完走




11月1日、棚卸しのために戸塚の方にあるお店へ出勤。朝はいつも通り5時に起きつつも、家を出るのは遅め。通勤ラッシュの引いた電車で座りながら向かう。スマホのKindleで歌集を読んでいて、ふと顔を上げたら斜向かいの席に同僚が。同じお店に向かう予定になっていたが、あちらもスマホを眺めていたので特に話しかけなかった。

仕事は順調に終わり、17時過ぎにはお店を出る。
以前から約束していた通り、戸塚から移動して、空いていた焼き鳥屋に一緒に仕事をした3人でパッと駆け込む。お店から串がなくなるんじゃないかというくらいたくさん焼き鳥を食べて、氷なくなるんじゃないかってくらいお酒も飲んだ。


11月2日、毎年恒例、友人家族の結婚記念日写真撮影を明日に控え、機材の準備。と言っても、僕の大好きなCanon Kiss X3と予備にOLYMPUSのコンデジだけ。Kiss Xとは、たぶんもうかれこれ13年くらい使っているかな。5Dとか欲しかったけど、高いから買えないでいたら、結局このカメラに愛着が湧いて、メインはずっとこれひとつ。一緒に長崎の軍艦島とか、いろんなところに行きました。外装がちょっとボロくなってきたり、ファインダーのアイカップがどっかいったりしてるけど、まだまだ使える。


11月3日、撮影当日。初めて撮影をした年は夫婦2人だけだったのが、今では子どもが2人。わんぱくすぎて手に負えない次男をちゃんとフォローする長男。撮影も楽しくできてよかった。
撮影のあとは、恒例のランチ。ランチ中の子どもたちの写真を撮るのも僕の役目。いつもの撮影場所の近所に新しくできたイタリアンのお店に入り、パスタやらピザやらビールやらで小さなパーティーを。


11月4日、実家へ。父はこのところほとんど食事を取れていないらしい。ゼリー飲料や果物だけ。梨は食べられるそうだ。僕が行くと父は寝ていた。起こすのも悪いから、自然に起きてきたらでいいやと思って、自分が使っていた部屋に残してきた本たちを眺めて時間を潰した。山崎貴監督が自分で書いた『ジュブナイル』のノベライズや山際淳司のスポーツノンフィクションを手に取り、ぱらぱらとめくった。どれか持って帰ろうと思い、悩んだ末、よしもとばなな『デッドエンドの思い出』にする。
2時間ほどいたが、父は起きてこなかったので帰ることにする。すると、母に猛然と止められた。顔を見てやってよと言われたが、なんだかそれは病人扱いするようで気が引けた。父は病人扱いされたくないだろう。そう思ったが、母が父を起こすと、父は居間へ出てきた。大きな椅子の背もたれを倒してタオルを体にかけ、眠りたそうだったが、僕を見て言った。
「今日はなんだ?」
わざわざ家にまで来て、僕が、例えば緩和ケア病棟のこととか、病気のこととかを話すのかと思ったのだろうか。最近食事も取れていなくて、弱ってきていると聞いて顔を見に来たなんて言えないから僕はこう言った。
「たまたま近くに来たから寄っただけだよ」
そんな答えで良かったのかわからないけれど、父は、そうか、と言って目を閉じた。
また来るよ、と言って僕は早々に帰った。
あんまり父のそういう姿を見たくなかったのかもしれない。

帰ったあと、妻と少し近所の公園を散歩した。バッタを見つけて写真を撮り、池で甲羅干しする亀を眺めた。


11月5日、朝7時半頃、会社の近くのスーパーで昼食を買ってお店を出ようとした時、母から電話。父が床に倒れてしまって起こせない、と。会社へ向かいかけていたところを急いで引き返す。スーパーのお弁当を持って、ラッシュのど真ん中の電車に乗る。
家に着くと、父は床に座り込んでいた。朝、床に倒れた状態で見つけたらしい。昨晩倒れて、寒い中、ずっと耐えていたらしい。意識はあり、話すこともできた。バスタオルをかけて背中をさすっているうちに訪問看護師さんが到着。僕と看護師さんの二人では力の抜けてしまった父を動かせず、リハビリを担当してくれていた療法士さんも呼んで、3人でなんとかベッドへ運ぶ。たった数メートル運んだだけで大汗をかいた。

これはもういよいよケア病棟、そして介護士さん、いろんなことが必要になる。日常のことはほとんど自力でできていたこれまでとは全く違う生活が始まる。
どうしていこうか。
どうしたらいいんだろうか。
何もわからない。
でも、どうにかしていかなければ。ケア病棟に入って、なんとか苦しみを和らげながら、
と、思っていた矢先だった。
背中をさすってやっていたら、父の息は止まっていた。


11月6日、ドライアイスを替えにきてくれた葬儀屋さんと葬儀の打ち合わせ。なんかもう全然ゆっくりしてられない。明日には葬儀場に運ばれてしまう。なかなか父と二人になれなかったが、夕方ごろに他の家族が出て行って、父のそばでまたひとしきり泣くことができた。


11月7日、葬儀場での打ち合わせ。最終的な人数やお花の数、当日のスケジュール。こちらが何も考えなくて済むくらい、何から何までサポートしていただいた。


11月8日、葬儀。さまざまな負担を考え、一日で通夜、告別式、初七日法要まで。
お骨の中に、父が57歳の時に大腿骨骨頭壊死の治療のために入れたチタンの人工股関節があった。父は自分の体にチタンが入っていることを気に入って、titanという文字をメールアドレスにしていた。


11月9日、短歌の人たちと品川駅に集合して、旧東海道をしながわ水族館まで散歩。辛くて、悲しい1週間だったので、好きな人たちに会いたくて、葬儀の翌日だったけど参加した。昨日までずっとめそめそしていたので、本当に助けられた。その日の歩数は21,682歩。
この日のことはのちに「ねむらない樹 Vol.12」の「歌人の1週間」コーナーにて、小俵鱚太さんが書いてくれました。

集合前、品川駅の改札の中で、鉄道グッズのポップアップショップがあったので覗いてみた。JRの駅名看板のキーホルダーがあったので、探してみたら、あった。真鶴駅!
中学2年生の時、父の所属する自転車クラブに混じって自転車で真鶴まで行ったのでした。なんとなくその真鶴駅のキーホルダーを持っていたい気がして、買いました。


11月10日、塔新人賞の応募原稿を発送。短歌研究賞、笹井宏之賞、角川短歌賞、歌壇賞、塔新人賞、今年の短歌賞への応募、完走。


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