2025年2月15日土曜日

【日記50 ツール・ド・松山編1】のぞみ21号〜雪が舞っていた



2月4日、朝9時37分、品川発の「のぞみ 21号 博多行き」に乗り込む。
通路側の席に座り、30Lのデイパック1つにまとめた荷物を足の間に置く。
そして、スコン、と寝てしまった。ふと目が覚めて顔を上げると、車両の前の電光掲示板に「ただいま豊橋駅を通過」という文字が流れた。神奈川も静岡も丸ごと寝たようだ。とか思っているうちにまた寝落ちして、ぼんやりとした意識の中で、今度は三河安城通過のアナウンスを聞いた。名古屋駅で降りる人たちが準備を始め、そのちょっとした騒がしさにようやくすっきりと目が覚めた。
名古屋を出た新幹線は岐阜に入っていく。
小さな窓に通路側から目を凝らせば、外は雪景色。僕にとってこの冬初めての雪景色だ。東京は昨年末からなんとなくずっと暖かくて、雨も降らないせいで、地面に着く前に消えてしまうような本当の粉雪と2回ほど出くわしただけだ。雪の白さに目が洗われるようで、眠気の最後のひとかけらもどこかへ消えていった。


今回、愛媛県の松山へ行くことにしたのは、11月に亡くなった親父の故郷へ久しぶりに行きたいと思ったから。松山へはこれまでに2回、2012年と2017年に、いずれも親父とは別に訪れている。その際、父が行きつけにしていた飲み屋にお邪魔させてもらい、そこの大将にとっても良くしてもらった思い出がある。父が亡くなった日に大将とは電話で話したが、いずれは直接言いに行かなければなと思っていた。会社を辞めることにして、それで得た有休消化期間だ。不意に手にした「暇」は、こういうことに使わなければと思った。

ただ、松山へ行くにしても、なんとなく飛行機は使いたくないなぁ、と思っていた。
親父は松山へ帰るたびに、しまなみ海道を自転車で渡った、尾道から島へフェリーに乗った、サンライズ瀬戸のA寝台に輪行の自転車を置くとベッドから足を下ろせない、松山の海で記念写真を撮ったなどと、鉄道、自転車、船、バス、といろんな乗り物、そして自力で旅を楽しんでいた。その様子を本人から聞かされたり(僕があまり親父と話したがらなかったので、親父が一方的に喋っていた)、Facebookでの記録を目にしたりしていたので、きっと、そういう旅を自分もしてみたかったのだと思う。
まぁ、高所恐怖症なので単に飛行機が怖いというのも、ある。

でも、自転車でしまなみ海道を渡るのは、準備期間の短さからも無謀だし、サンライズの夜行も思い立った時にはすでにチケットは完売していた。
そこで考えたのが、行きは新幹線で品川から福山駅まで行き、バスでしまなみ海道を渡って今治、そこから予讃線で松山。帰りは松山から特急しおかぜで四国の上の海岸線を辿り、瀬戸大橋を渡って岡山、岡山から新幹線で東京。
これなら、しまなみ海道や愛媛の海岸、瀬戸大橋を通ることができる。親父が見たであろう風景の一端を見ることが叶うのではないか。
感傷的すぎるかもしれないが、親父がかつていた町やその町の海が、東京生まれ東京育ちの自分にも受け継がれていることを実感したかった。

13時3分、新幹線は福山駅に着いた。改札を出て、しまなみライナーの停留所へ向かう。
いくつもの停留所が並ぶ駅前のバスターミナルには雪が舞っていた。

遺された日記「ツール・ド・松山」に春のしまなみ海道のこと

米原の手前でこの冬初めての雪景色、点眼薬のよう

/杜崎ひらく


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