2025年2月20日木曜日

【日記51 ツール・ド・松山編2】しまなみライナー〜巨大スクリュー



今治行きのバス「しまなみライナー」の停留所にはすでにバスが来ていた。
すでに何人かは荷物を預け、乗り込んでいるようだった。
僕も焦って荷物を預けようとしたが、運転手さんが「広島行きです」と言った。その瞬間、慌てて近くにいた女性がスーツケースをバスから降ろした。近くにいた人が「あぶなかったね」と声をかけていた。僕も乗りかけていたのであぶなかった。
そのバスが出ていき、すぐにもう1台バスがやってきて、これがしまなみライナーだった。
慣れない「バスもり!」というバスの搭乗券アプリを運転手さんに見せると、「降りるときでいいですよ」とのこと。運転席後ろの椅子に座る。雪が勢いを増している。ロータリーに吹き込む風に、雪も丸く渦を描いている。

バスが走り出すと、不思議と雪が止んだ。
雪のしまなみ街道も良さそうだな、と思っていたが尾道に着く頃には日が射して、いよいよしまなみ海道に入っていく。
遠くに緑や青の混じったような暗くて分厚い雲が見えつつも、バスの窓辺は日射しで暖かい。左側は晴れているが、右側は曇っている。狭い範囲で天気が違う。空や海で起きている現象が、町や県の単位ではない。刻一刻と変わる。おそらく風のせいだ。バスの窓に当たるすさまじい風の勢いが、音で分かった。

しまなみ海道は、広島県の尾道と愛媛県の今治を結ぶ自動車道。親父が走った道とはおそらく違うだろう。しまなみサイクリングロードというものが別にあり、島の地面を走ったはずだった。四国と大島を結ぶ来島海峡大橋のケーブルの橋を定着するアンカレイジの写真を父は撮っている。コンクリートのはつりを請け負う会社にいた父は、その巨大なコンクリートの塊に驚いたことだろう。島を伝って海峡に橋を架けた人間の仕事に、親父はきっと感じるものがあったのだと思う。


自転車で父は渡った海道を息子はバスで、自転車屋なのに
/杜崎ひらく


多島美と呼ばれる、瀬戸内海の島々の風景。
空にも同じように、たくさんの白い雲が浮かび、その一つひとつが島のようだった。
大きな海をその下に持つ空の、雲の色ってあるんだなぁ。
遠くに見えるのが山並みかと思えば島の陰で、初めての光景に、体が回路をつなぎ直しているような、プログラムを書き換えているような感覚があった。

親父が海峡を渡るのにかけた時間の何十倍もの速さで、バスは、四国に上陸した。
14時44分、時刻表通りに今治駅前に到着。
晴れてるのか曇ってるのか、快晴かと思えば雪がちらつく。日がかげり、雪が止んだと思ったら、今度は快晴のまま吹雪く。不思議な天気の中を歩いた。
今治港、今治銀座、息が止まるくらいに強い風が吹き付ける中を歩きつつ、今夜の飲み屋を探す。Xで今治の居酒屋について誰に聞くともなく訊ねてみると、嬉しい返信がある。教えてもらったお店は距離が離れていて行けそうになかったが、鳥皮を串に刺さず鉄板で焼いた焼き鳥が名物だと教えてもらう。
今夜はそれが食べられる店に行こう。
そう決めて、強風から逃れるために初日の宿に荷物を下ろすことにした。
市役所前には巨大なスクリューのオブジェがそびえ立っていた。大型コンテナ運搬船に搭載されたものと同じらしい。市役所の庁舎や公会堂、市民会館は丹下健三の設計によるもの。

そういえば今治港にも船を模した建物があり、船のチケット売り場や待合室、コーヒースタンドやコミュニティFMのスタジオがあった。
今治は意外と建物が熱いのかもしれない。明日も少し、歩いてみようと思った。



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