2.18 SUN(18℃/9℃) 歌集を連れ回す
日頃より全国から私家版歌集が集結している書店さんでありながら、この3日間はさらに力を入れて展示販売を行います。
僕もゲストリコメンダーとしてお招きいただいたので、3冊、私家版歌集の紹介文を書きました。どれもすごく良い歌集でした。展示された歌集にパネルとして添えられていますので、ぜひ現地でご確認ください。
今回、紹介文を書く上で心がけたのは、何かを分かろう、読み解こうとしてしまうのを堪えること。
なるべく一緒に過ごした中での気づきをしたためるようにした。
変に思われるかもしれないけれど、会社に持って行ったり、その行き帰りに読んだり、歩きながら読んだり、飲み屋で束の間荷物を降ろしつつ女将さんと喋りながら一緒に飲んだり、自分の日常の中を歌集を連れ回してみた。
〆切があるので、なかなかずっととはいかなかったけれど、そういう風に書いた紹介文です。
そんな紹介文を一生懸命書いた日でした。
2.19 MON(16℃/12℃) 風のまほろば
世界古典文庫というものに収められていたらしく、でもその文庫が上巻しか出なかったのだそう。
上巻しか読まなかった本は僕にもいくつもある。多くは自分の辛抱が続かなかったという理由で。
でも、下巻を読みたいと渇望しながらも、いまだに読めていない本が1冊だけある。
『風のまほろば』というコミックだ。
出版年を調べたら1996年ということだったので、きっとそのくらいの時期、僕が8歳くらいの時に買ってもらったのだと思う。
縄文時代、縄文人の少年が親の仇の凶暴なクマを追うというストーリー。
祖父に連れて行ってもらった博物館のお土産コーナーで買ってもらった気がする。
上巻しか売ってなかったのか、それともとりあえず上巻だけ買ってもらったのかはもう分からない。とにかく話の続きが気になって、本屋へ行くたびに探した。
昔、鈴木杏が出ていた映画『ジュブナイル』が好きで、監督自身によるノベライズを長いこと繰り返し読んでいた。その巻末に、ジョークで『ジュブナイル2』や江戸時代にタイムスリップしてしまうスピンオフなどの刊行予告が書いてあった。ジョークとは知らず、子どもながらずっと刊行を、本屋に並ぶ日を待ち続けていたことがあった。スマホもパソコンも身近ではなかったし、店員さんに聞く勇気もなかったので、毎日本屋へ行って、並んでないかな、と確かめるしかなかった。
結局、『風のまほろば』の下巻はいまだに読んでいない。
大人になってネットで探したら、書影を見ることはできたが、手に入れられそうにない。今は手元にない上巻も、手に入れたいがプレミアがついて手が出せない。
きっと主人公には良い旅の終焉が待っているはずだと信じている。
いつかどこかで巡り会えたら良いなと思いつつも、手に入れてしまうことが本当に良いことなのかは分からない。
2.20 TUE(23℃/14℃) ついに小林秀雄を読む日が
ついに自分も小林秀雄を読む時が来たか。
学生時代、どの先生からも読めと言われた。
天邪鬼だったので一度も一冊も読まなかった。
まさか、ついに来るとは!
〈人間から出て来て文章となったものを、再び元の人間に返す事〉という一文に痺れる。びりびり!!
2.21 WED(13℃/7℃) 新しいブログを開設
Xを辞めようと思ったことがきっかけで、なぜかブログを作るところまで行きついた。
今日は昨日と打って変わって寒い、一日中雨。
隣の席の人と、今週はなんだか月曜日の時点で今週は長いなぁという気がしていた、という意見で一致した。
長い。先週の金曜日に有休とったくせに、そんなことを思っている。
2.22 THU(8℃/5℃) やっと出会えた、えびの入ってないかき揚げ蕎麦
道が真っ直ぐにずっと向こうまで伸びていて、先が水墨画のように雨に消えている。
その光景がよく見える位置から写真を撮ったけど、手前に余計なものがたくさん写ってイマイチその水墨画の世界が写せない。
多分遠すぎたのだろう、自分のいる位置が。
中に入らなければ、外から見ているだけではダメなんだな、と会社まで歩きながら思った。
僕はただ見たというだけで、その世界の存在にはなれておらず、景色だけをもらうことを許されなかったのだ。
いつものようにコンビニに入る。
最近通勤路を変えたので、素晴らしい店員さんのいるセブンイレブンからはしばし遠ざかってはいるが、よく行くようになったファミマも気持ちの良い店員さんがたくさんいる。
それはそうと、なぜコンビニやスーパーに置いてあるかき揚げ蕎麦のかき揚げには必ずと言って良いほどえびが入っているのだろう。カップ麺もそう。僕はえびが苦手で、おかげで蕎麦はかき揚げが入っているものはまず選択肢から外れる。あの、汁を吸ってやわやわになって、でもちょこっとだけ衣の「サクッと♪」が残っているかき揚げが好きなのになぁ。野菜のかき揚げとか、ないものだろうか、といつも考えていた。
ところが今日、そのファミマにあったかき揚げ蕎麦にはえびが入っていなかった!
やっと、やっと時代が来た、と朝から大げさなことを思った。
夜は、またいつもどおり会社から家までをめちゃくちゃに歩く。
本屋さんに寄って、小津夜景さんの『花と夜盗』を買う。小津夜景さんの著作の中で、読んでいないのはついにこれだけになっていた。
レジに持っていくと、店主さんに、「小津夜景さんの本を順番に読まれてますね、ありがとうございます」と覚えてくれていた。
『いつかたこぶねになる日』と出会えたのは、この本屋さんで平台に置かれていたからだ。ばっちり表紙と目が合って買ったのだった。
今日は一緒に夏目漱石の『草枕』を買った。
最近通勤路を変えたので、素晴らしい店員さんのいるセブンイレブンからはしばし遠ざかってはいるが、よく行くようになったファミマも気持ちの良い店員さんがたくさんいる。
それはそうと、なぜコンビニやスーパーに置いてあるかき揚げ蕎麦のかき揚げには必ずと言って良いほどえびが入っているのだろう。カップ麺もそう。僕はえびが苦手で、おかげで蕎麦はかき揚げが入っているものはまず選択肢から外れる。あの、汁を吸ってやわやわになって、でもちょこっとだけ衣の「サクッと♪」が残っているかき揚げが好きなのになぁ。野菜のかき揚げとか、ないものだろうか、といつも考えていた。
ところが今日、そのファミマにあったかき揚げ蕎麦にはえびが入っていなかった!
やっと、やっと時代が来た、と朝から大げさなことを思った。
夜は、またいつもどおり会社から家までをめちゃくちゃに歩く。
本屋さんに寄って、小津夜景さんの『花と夜盗』を買う。小津夜景さんの著作の中で、読んでいないのはついにこれだけになっていた。
レジに持っていくと、店主さんに、「小津夜景さんの本を順番に読まれてますね、ありがとうございます」と覚えてくれていた。
『いつかたこぶねになる日』と出会えたのは、この本屋さんで平台に置かれていたからだ。ばっちり表紙と目が合って買ったのだった。
今日は一緒に夏目漱石の『草枕』を買った。
2.23 FRI(7℃/4℃) 白河夜船
おぼえがきを始めに読み、次に連作「花と夜盗」を読み、それからようやく最初から読む。
香水のちがふ白河夜船かな
連作「駒鳥の隣人」の中のこの句にあたったとき、そういえば吉本ばなな(苗字が漢字表記だった頃の作品だと思う)さんの「白河夜船」はどんな物語だったっけと急に脳みそが飛んだ。
主人公の眠りがどんどん深く長くなっていく話だったと思う。手元にあればすぐ読んだのだけど、あいにく実家に置いて来てしまった。
そういえば、瑛太と宮崎あおい主演の映画『好きだ、』も、宮崎あおい演じるユウの姉が、途中から眠ったきり起きない状態になった。
2人が演じた高校時代から時が流れ、大人になった2人を永作博美と西島秀俊が演じる。
時を経てまた思いが通じ合うというよりは、本来、別々の道を行くはずがまた引き合わされ、運命を了解するという感じかな、と思い返した。
2.24 SAT(10℃/1℃) 面白がり方の発明
会いたかった、会いたいなぁーと思ってた、お会いしたかった、会ってみたかった、恩人、な人たちに一挙にお会いできて嬉しかった。
著者の川本千栄さんのお話から、当時やたらと「文語」vs「口語」と対立していた歌壇に対して、意欲的に挑戦的に提出したのが『キマイラ文語』の中の稿であるということが改めて分かった。
短歌をどんな語を使って書くか。選択はそれぞれに任されるものであってほしい。そしてどんな語で書かれているかでもし対立するのであれば、小津夜景さんの言葉を借りれば、それは互いの面白がり方を双方がまだ発明できていない、ということじゃないかなと思う。
どんな語を使うかは、例えば流派で分かれれば良いし、対立する必要はない。
そういう観点の可能性を『キマイラ文語』は当時の歌壇にもたらしたのではないかと思う。
そして今日、70名以上の方が集まったのだから、どれはダメだ、自分はこれだ、というだけでなく、様々に各々に歌の面白がり方が発明されると良いなと思います。
今まではダメだと言われてきた短歌があるとして、でも、こうした試みによってすくいあげられたものが新たな読者を得るかもしれない。そういう可能性に、少しずつ向かえたらいいな。
少なくとも僕は、そういう方向へ行きたい。
とそんなことを思ったのでした。






