2025年7月4日金曜日

【個展のおしらせ】杜崎ひらく短歌展「わたしをひらく」




短歌の展示が本日7月4日より、東京で始まります。


杜崎ひらく短歌展
「わたしをひらく」

※入場無料/予約不要


◆期間
7月4日(金)〜7月29日(火)
※会場の定休日は、展示もお休みです

◆場所
「フラヌール書店」
東京都品川区西五反田5-6-31 東急目黒線不動前駅より徒歩3分
OPEN 12:00 /CLOSE 20:00
定休日 毎週水曜日+第1第3火曜日
※展示のOPEN時間はお店の営業時間に準じます
※臨時休業、時短営業などの場合がございます

◆展示案内
3月7日から一日一首作ってきた短歌100首を展示します。
短歌をただ展示するだけでなく、どんな日々の中で作ったものなのか、どうしてその短歌を作ったのかなど、制作の背景を描いた短文を添えてご紹介。
街の片隅に生きる、ごくごく普通の、平凡な歌人の100日間をお楽しみください。


会場のフラヌール書店さんは、とても素敵な本屋さんです。
店内もぜひごゆっくりご覧ください。


◆会場スケジュール

会場であるフラヌール書店さんの営業スケジュールでございます。
定休日・臨時休業の日は展示もお休みとなりますのでご注意ください。


◆在廊予定
7/10(木)14:00〜20:00
7/14(月)14:00〜20:00
7/24(木)14:00〜20:00
7/28(月)14:00〜20:00


感想をSNSなどで投稿される際は、#わたしをひらく短歌 をお付けください。
また、写真撮影可としております。良識の範囲内でお楽しみください。
皆様のご来場、お待ちしております。



昨夜、設営を終えたばかりの展示室の様子

2025年4月21日月曜日

【日記54 ツール・ド・松山編5】松山駅〜チタン



過去に2回、松山に来た時は、車と飛行機だったので、どちらも松山駅は使わなかった。
今回初めて電車で到着した松山駅は、駅の改修工事の真っ最中だった。線路が高架になった新しい駅舎の横で、これまで使われてきた地上の線路とホームが解体されているところだった。
駅を出るとすぐに懐かしい風景に当たった。そう、路面電車だ。大通りには軌道が敷かれ、車とともに電車がゆっくりと進む。
7年前はこれに乗って道後温泉からお堀のあたりまで移動したっけ。
乗ってみようかと思ったけれど、歩いているうちに松山城のお堀に突き当たり、なんとなくそのままホテルまで歩き通してしまった。途中、大きく道をそれて、気ままなルートを通ってみた。銀天街や大街道、かつて来たことのある場所を今こうしてまた通っているということが不思議に感じられた。
松山に限らず、普段の生活から離れた場所に、二度、三度、と数年単位の時間をおいて足を運ぶ時、またここに来た、という感慨とともにいつも「またここに来られた」という気持ちになる。何か力が働いているように思うのだ。何かがまたここに向かわせた、と。


松山といえば松山城や道後温泉など名所も多いが、どこにも寄らず、16時ごろにホテルにチェックインした。松山に来た目的はただ一つ。父が行きつけにしていた飲み屋へ行くこと。開店は18時。それまでに遅めの昼食(おにぎりと缶ビール)を軽くとり、少し体を休めた。


18時、日が落ち、大街道を夜が包む。
お店は大街道から横道へちょっと入ったところの2階。
懐かしい看板。そうそう、こんな感じだった、という階段。
ドアを開けると、大将と従業員のRさんが迎えてくれた。大将はホテルでのシェフ時代を彷彿とさせるコックコートに身を包み、Rさんは親父がプレゼントしたという手ぬぐいを巻いていた。
2人も一度東京に来てくれたことがあった。その時は実家にも立ち寄ってくれた。親父が駅まで迎えに行ったことや東京観光の案内をしたことをよく覚えてくれていた。


父親としての親父のことは、よく知っている。あまり好きではなかった。お世辞にもいい人とは言えなかったが、一歩外へ出ると、なんとまあ慕ってくれる人の多いことか。世の中の親父ってみんなそういうもの? とにかく親父は家以外では笑顔で、人当たり良く、仲間もたくさんいて、博識で、ユーモアもある、という人物だったそうだ。家の中と真逆。本当に不思議に思う。あなたはいったい、どんな思いでうちに居たんだ。仕事から帰り、ご飯を食べ、テレビを観て、眠り、仕事に出かけ、定年後は日がな一日ビールとピザをテーブルに広げてテレビや映画を眺め、どんな気持ちで家に居たんだ。怒りっぽいあなたのことを、家族以外に知る人はいるのかい。


20時過ぎ、お店の常連で父の友人でもあるT先生が来てくれた。僕が東京から来ると聞き、わざわざ会いに来てくれた。T先生とは13年前に会っただけだ。このお店がまだ名前も違い、大街道近くに移転してくる前のことだった。その時は、さんざん飲んで、僕は酩酊して、翌日に行った高知のひろめ市場では水しか飲めないほどの二日酔いだった。


T先生は僕が誕生日だと知ると、お店にあったギターを取り、即興で歌ってくれた。
親父は50代で大腿骨骨頭壊死により人工股関節の手術を受けている。材質はチタン。自分の体の中にチタンが入っていることを、なぜかえらく気に入り、それを記念してか、手術した時の自分の歳とtitanの文字をメールアドレスに入れていた。そのため、T先生は親父のことを「チタン」と呼んでいる。
松山の夜、とある飲み屋で、「チタンの息子が来たぜー!」と高らかに歌われたのだった。


2025年3月6日木曜日

【日記53 ツール・ド・松山編4】二日酔い〜いよいよ電車は




楽しかった夜が明けて、少し、二日酔い。ホテルの部屋から見える空には船団のような雲が浮かび、まだ上りきらない太陽が片一方からだけ今治の街を照らしていた。
朝食をとるためにバイキング会場へ降りていく。ご飯と味噌汁とスクランブルエッグやベーコンなどを少なめに食べる。
食後に温かいコーヒーを飲みながら、今日の旅程を確認する。
今日の移動はそれほど長くはない。
今治駅から松山駅まで予讃線で約1時間ほどの移動。特に指定の時刻もないし、切符を買ってあるわけでもない。午前中はぶらぶらと散策できる。それに行ってみたい本屋さんもあった。

その本屋さんは「森」という。
今治駅から今治港へ向かって15分ほど歩いたところにあった。木造二階建ての民家で、町並みに溶け込むその佇まいに何度か通り過ぎてしまっていた。やっと見つけた時も今ひとつ自信が持てなかったが、入り口にはためく暖簾が強風に裏っ返しになっているのをしばらく待って、ぱたりと落ちてきた時にちゃんとあった「森」というロゴに、「あ、ここだここだ」とガラス戸を引いて中に入った。
玄関で「こんにちは」と声を掛けると、奥からスタッフの方が来て迎えてくれた。上り框が高く、まるで人の家にお邪魔するような感じ。風が吹き荒れ、たまに雪が舞う外の世界とはうって変わって、しんとしている。ガラス戸一枚隔てただけでこんなにも静か。僕と、スタッフの方の声と、立てる音。小さく流れている音楽、これは、レコードだろうか。時折ガラスが震え、外で何かが倒れるか転がるかする音。ゆっくりと棚を見ながら、乾いた畳を踏みしめる音。何周も何周も棚を回って、ほくほくした気持ちになる。
喫茶メニューがあるようだったので、窓際に座ってホットコーヒーをいただいた。
本の話を皮切りに、スタッフの方がいろんなことを教えてくださった。
築70年ほどのこの民家は、もともと鉄工所の社長さん宅だったとのこと。改装やリノベーションもしておらず、ほとんどそのままで利用しているのだそう。新刊も古本もあり、蔵書の一部は開店の際に、今治の町で長年営んできた古本屋さんから「廃業するから、蔵書もらってくれない?」とその蔵書を譲り受けたものらしい。四国にまつわる本を集めた棚や、和田孤村『伊豫郷土文學選』などに、色濃くその名残がうかがえた。
「森」は、2023年オープンの「遊べる古民家古本カフェショップ」で、多目的スペース・今治ホホホ座が運営している。イベントがないと開かないスペースではなく、いつでもふらっと行ける場所があるといいよねという思いがきっかけで、「森」という本屋さんは生まれたという。
「今治に雪が降るのは珍しいですよ。南予の方は今大変なことになっているらしいです」
「えー!!四国は割と温暖なイメージがありました」
「そう、めったにないです、こんな雪。風が強いとすぐ瀬戸大橋は電車止まりますよ」
「えっ、やばいなぁ、明日、松山から瀬戸大橋を通って名古屋まで行こうと思ってるんですよ」
「いや、実は私も明日東京に向かう予定で。電車は止まる可能性があるので、バスで福山まで行くことにしました」
「あ、それ昨日僕が通ったルートの逆向きですね」
なんて、ちょっと明日以降の移動に不安がよぎりつつも、まぁ、瀬戸大橋を渡れなかったら仕方ない。気ままな旅なんだから、松山か高松でもう一泊すればいいやと考えた。
焼き鳥のことも教えてもらった。なぜ、鳥皮を串に刺さず、鉄板で、しかも押し付けて焼くのか。
それは、今治の人が、せっかちだからだそうだ。
串に刺してる暇があったらそのまま焼こう、早く焼けるように押し付けよう、そんな感じだそうだ。焼きあがった皮を鉄板からそのまま口に運んでハフハフとする人のイメージが浮かんだ。
コーヒーを2杯いただいて、スタッフさんとお互いの明日の旅程の無事を祈りつつ「森」をあとにした。
吹雪いている。天候がこれ以上悪くならないうちに松山へ向かおう。風に押し戻されそうになりながら、顔を伏せていたせいでほとんど前を見ずに駅まで歩いた。
ホームで待つのは寒いので、ギリギリまで改札の前の椅子で待っていた。いざ予讃線の出る二番線ホームに上がろうとすると、階段にまで雪が吹き込んできていて、電車はとりあえず出るようだけれど、松山はどうなんだろう、たどり着けるのだろうか、なんて思っていた。
ところが、電車が走り出した瞬間、今治駅のホームすら出ないうちに、いきなり晴れた。何かが雲をがしっとつかんでちぎったように、遠くの空に暗雲を残して、あたり一面、真っ青な空が広がってしまった。
あれー、なんて心の中で声をあげた。同じ電車に乗っていた他の乗客たちも、同じくらいびっくりしたんじゃないだろうか。眠りかけていた斜向かいの人が起きて、一瞬、何が起きたのか理解できずにじっと窓の外を見ていた。めちゃくちゃ乗り過ごしたか、異世界へ来てしまったか、みたいな顔をしていた。

松山へ向かう予讃線は、愛媛の海岸線を走る。
電車の照明が落ちたのかと思うほど、海は明るかった。親父が昔、写真に撮った海だなぁ、これが。自転車を持って正面を向いて映るつもりが、シャッターのタイマーが早く降りてしまって、自転車に手を添えて横向きに写り、あれ、ちょっとエモいんじゃない?みたいな仕上がりになった写真。親父はそれが余程気に入ったのか、Facebookの写真にずっと使っていた。

さぁ、いよいよ電車は松山駅へ。
松山城も道後温泉も寄らずに、大街道の、父の行きつけだったお店、この旅の一番の目的地へ。







2025年2月27日木曜日

【日記52 ツール・ド・松山編3】今治の夜〜また今度来た時




さて、夜だ。
今治の夜。飲もう。飲みに行こう。
旅先で知らない店に飛び込むことほど、脳が働く瞬間は自分にはない。まぁ、普段からあまり頭を使ってないからかもしれないが、それはさておき、知らない土地で、交差点のたびにどちらへ行くかを決め、路地の先に目を凝らし、通りの雰囲気や店のたたずまいに五感の全てを開く、なんなら第六感まで解放するその瞬間、僕は少し発光しているかもしれない。
今回も自身を光らせつつ店を探し(とか言いつつ駅のど真ん前だったが)、ここだな、と狙いを定めてぱっと飛び込んだ。
だが、入るなり予約の確認。予約はしてないと伝えると、「1時間ほどでも大丈夫ですか?」と店員さんが申し訳なさそうに言った。入り口に近いカウンターの一番端に通される。まぁ、仕方ない。ぱっと飲んでぱっと食べて別の店に移ってもいい。何軒かはしごするのも好きだ。
でもね、まさか、17時半に入って、22時までいることになるとは思いもしなかった。

まず生ビールとお通し。僕の他にお客さんはテーブル席に1組だけ。なぜか厨房の奥のテレビで仮面ライダーBLACKが流れていて、それを眺めながらちびちびと始める。1時間ほどで出なければいけないとは思いつつも、初めから急ぎたくはない。
続いて鳥刺し三種盛り。ビールも追加。ささみワサビ、ズリ刺し、キモ。ささみはしっとり柔らかく、ズリはコリコリ、キモはとろっと口の中でとろける。どれも食感が違くて楽しい。食べる順番を変えてみたり、一緒に食べてみたり、箸が止まらない。ビール追加。

続いては本命の焼き鳥。
串打ちせず鉄板に押し付けて焼いた鳥皮は、弾力は保ちつつも、噛めばカリッと音が鳴るほどにパリパリ。塩とタレを選べたので、店員さんにどちらが良いか聞いてタレにした。正解。ほどよく甘く、濃い味のタレが染み込んで、あぁ、これは、白ごはん、欲しいなぁ。でも我慢。ビール追加。

時間の経過とともに、最初は2人だった店員さんが3人、4人、5人と増えた。それに呼応するようにお客さんも次第に増え、あとからあとから予約の人が現れ、ついに予約してない人を断らなければならない状況にまで店が混みだした。
ここらで18時半だ。たった1時間の間にお店は満席。僕も来るのが少し遅かったら入れなかっただろう。
混んできたし、そろそろ行かねば、とビールを飲み干そうとしていたら、「1時間ほどで」と最初に言った店員さんがカウンターの中から僕の方へ近寄ってきて、「あの、さっき、1時間ほどでって言ったんですけど、お時間大丈夫でしたら、良かったらまだ居ていただいて大丈夫です」と言ってくれた。

それならばと、もう食欲は止まらない。
せせり焼き。玉ねぎとポン酢でさっぱりとした味付け。タレのあとにはちょうど良い。

ひっきりなしにお客さんが入ってくるので、入り口に近い席だと寒い。じゃがいも焼酎という珍しいお酒があったので、お湯割りを注文。あったかい。

さぁ、まだまだいこう。軟骨入り月見つくねを頼んだが、ちょっと舌が回らなくて「南極入りつくねつくね」と発してしまう。でも店員さんは笑顔で「はーい」と言ってくれて、無事に軟骨入り月見つくねが届く。

僕が座っている席の横は、レジとドリンクを作る場所に近かったので、店員さんが待機する場所にもなっていた。おかげで注文はしやすいし、終わった皿もサッと下げてくれるし、「なんで仮面ライダー流れてるんですか?」という質問にも「店長の趣味です」と教えてくれた。

20時ごろ、お店の盛り上がりは最高潮に達していた。そしておそらくオーダーの数もピークだっただろう。一瞬も止まることなく全ての店員さんが動き続けていた。一つでも無駄な動きが入れば全てが止まってしまうような忙しさの極みの中、全員がそれを分かり、誰一人ミスしない。激しい動きの中にも、お皿を持ち上げる瞬間の慎重さ、丁寧さは欠かさない。腕はたった今やるべきことを行い、目は次に行くべき場所を見て、頭はその三手以上先へ行っている。

ちょっとだけ落ち着いたタイミングで聞いてみる。
「いつもこんなに忙しいんですか?」
「いつもですねぇ」
「予約しないと入れないですか?」
「ほとんど予約で埋まっちゃいます」
「うわぁ、じゃあ僕めちゃくちゃラッキーでした」
嬉しくてじゃがいものお湯割追加。
すると1時間の時間制限をなくしてくれた店員さんが、僕の前にお茶碗を置いた。
「鯛めしです。せっかく作ったんですけど全然出ないので、良かったら食べてください」
美味しかったなぁ、鯛めし。もう一度鳥皮を頼みそうになるも、我慢して紅生姜入りだし巻き玉子。巻き簾でキュッと形を整えていたが、箸でつかむと崩れるくらいほろほろ。たっぷりの出汁が滴る。量もたっぷり。じゃがいもお湯割追加。
「出汁巻き量多くないですか?」
店員さんが話しかけてくれる。
「私もよく賄いで出汁巻き食べるんですけど、結構お腹いっぱいになります。大丈夫ですか?」
「美味しいからいくらでも食べれます」
なんて、所々で会話も盛り上がる。じゃがいもお湯割追加。
「旅行でいらっしゃったんですか?」
「そうです、東京から陸路で。今日着いて。今治ご出身ですか?」
「あ、私は大学で岐阜からこっちに来てて」
ちなみに鯛めしをくれた店員さんは今治出身だった。

1時間だけって言われたのに、つい食べて飲んで22時。
2軒目はまた今度来た時にしよう、って思いながらホテルに戻った。
外は雪がちらついていた。


今日、岐阜を通ってきたと伝えれば雪でしたかと普段の声に
/杜崎ひらく




















2025年2月20日木曜日

【日記51 ツール・ド・松山編2】しまなみライナー〜巨大スクリュー



今治行きのバス「しまなみライナー」の停留所にはすでにバスが来ていた。
すでに何人かは荷物を預け、乗り込んでいるようだった。
僕も焦って荷物を預けようとしたが、運転手さんが「広島行きです」と言った。その瞬間、慌てて近くにいた女性がスーツケースをバスから降ろした。近くにいた人が「あぶなかったね」と声をかけていた。僕も乗りかけていたのであぶなかった。
そのバスが出ていき、すぐにもう1台バスがやってきて、これがしまなみライナーだった。
慣れない「バスもり!」というバスの搭乗券アプリを運転手さんに見せると、「降りるときでいいですよ」とのこと。運転席後ろの椅子に座る。雪が勢いを増している。ロータリーに吹き込む風に、雪も丸く渦を描いている。

バスが走り出すと、不思議と雪が止んだ。
雪のしまなみ街道も良さそうだな、と思っていたが尾道に着く頃には日が射して、いよいよしまなみ海道に入っていく。
遠くに緑や青の混じったような暗くて分厚い雲が見えつつも、バスの窓辺は日射しで暖かい。左側は晴れているが、右側は曇っている。狭い範囲で天気が違う。空や海で起きている現象が、町や県の単位ではない。刻一刻と変わる。おそらく風のせいだ。バスの窓に当たるすさまじい風の勢いが、音で分かった。

しまなみ海道は、広島県の尾道と愛媛県の今治を結ぶ自動車道。親父が走った道とはおそらく違うだろう。しまなみサイクリングロードというものが別にあり、島の地面を走ったはずだった。四国と大島を結ぶ来島海峡大橋のケーブルの橋を定着するアンカレイジの写真を父は撮っている。コンクリートのはつりを請け負う会社にいた父は、その巨大なコンクリートの塊に驚いたことだろう。島を伝って海峡に橋を架けた人間の仕事に、親父はきっと感じるものがあったのだと思う。


自転車で父は渡った海道を息子はバスで、自転車屋なのに
/杜崎ひらく


多島美と呼ばれる、瀬戸内海の島々の風景。
空にも同じように、たくさんの白い雲が浮かび、その一つひとつが島のようだった。
大きな海をその下に持つ空の、雲の色ってあるんだなぁ。
遠くに見えるのが山並みかと思えば島の陰で、初めての光景に、体が回路をつなぎ直しているような、プログラムを書き換えているような感覚があった。

親父が海峡を渡るのにかけた時間の何十倍もの速さで、バスは、四国に上陸した。
14時44分、時刻表通りに今治駅前に到着。
晴れてるのか曇ってるのか、快晴かと思えば雪がちらつく。日がかげり、雪が止んだと思ったら、今度は快晴のまま吹雪く。不思議な天気の中を歩いた。
今治港、今治銀座、息が止まるくらいに強い風が吹き付ける中を歩きつつ、今夜の飲み屋を探す。Xで今治の居酒屋について誰に聞くともなく訊ねてみると、嬉しい返信がある。教えてもらったお店は距離が離れていて行けそうになかったが、鳥皮を串に刺さず鉄板で焼いた焼き鳥が名物だと教えてもらう。
今夜はそれが食べられる店に行こう。
そう決めて、強風から逃れるために初日の宿に荷物を下ろすことにした。
市役所前には巨大なスクリューのオブジェがそびえ立っていた。大型コンテナ運搬船に搭載されたものと同じらしい。市役所の庁舎や公会堂、市民会館は丹下健三の設計によるもの。

そういえば今治港にも船を模した建物があり、船のチケット売り場や待合室、コーヒースタンドやコミュニティFMのスタジオがあった。
今治は意外と建物が熱いのかもしれない。明日も少し、歩いてみようと思った。



2025年2月15日土曜日

【日記50 ツール・ド・松山編1】のぞみ21号〜雪が舞っていた



2月4日、朝9時37分、品川発の「のぞみ 21号 博多行き」に乗り込む。
通路側の席に座り、30Lのデイパック1つにまとめた荷物を足の間に置く。
そして、スコン、と寝てしまった。ふと目が覚めて顔を上げると、車両の前の電光掲示板に「ただいま豊橋駅を通過」という文字が流れた。神奈川も静岡も丸ごと寝たようだ。とか思っているうちにまた寝落ちして、ぼんやりとした意識の中で、今度は三河安城通過のアナウンスを聞いた。名古屋駅で降りる人たちが準備を始め、そのちょっとした騒がしさにようやくすっきりと目が覚めた。
名古屋を出た新幹線は岐阜に入っていく。
小さな窓に通路側から目を凝らせば、外は雪景色。僕にとってこの冬初めての雪景色だ。東京は昨年末からなんとなくずっと暖かくて、雨も降らないせいで、地面に着く前に消えてしまうような本当の粉雪と2回ほど出くわしただけだ。雪の白さに目が洗われるようで、眠気の最後のひとかけらもどこかへ消えていった。


今回、愛媛県の松山へ行くことにしたのは、11月に亡くなった親父の故郷へ久しぶりに行きたいと思ったから。松山へはこれまでに2回、2012年と2017年に、いずれも親父とは別に訪れている。その際、父が行きつけにしていた飲み屋にお邪魔させてもらい、そこの大将にとっても良くしてもらった思い出がある。父が亡くなった日に大将とは電話で話したが、いずれは直接言いに行かなければなと思っていた。会社を辞めることにして、それで得た有休消化期間だ。不意に手にした「暇」は、こういうことに使わなければと思った。

ただ、松山へ行くにしても、なんとなく飛行機は使いたくないなぁ、と思っていた。
親父は松山へ帰るたびに、しまなみ海道を自転車で渡った、尾道から島へフェリーに乗った、サンライズ瀬戸のA寝台に輪行の自転車を置くとベッドから足を下ろせない、松山の海で記念写真を撮ったなどと、鉄道、自転車、船、バス、といろんな乗り物、そして自力で旅を楽しんでいた。その様子を本人から聞かされたり(僕があまり親父と話したがらなかったので、親父が一方的に喋っていた)、Facebookでの記録を目にしたりしていたので、きっと、そういう旅を自分もしてみたかったのだと思う。
まぁ、高所恐怖症なので単に飛行機が怖いというのも、ある。

でも、自転車でしまなみ海道を渡るのは、準備期間の短さからも無謀だし、サンライズの夜行も思い立った時にはすでにチケットは完売していた。
そこで考えたのが、行きは新幹線で品川から福山駅まで行き、バスでしまなみ海道を渡って今治、そこから予讃線で松山。帰りは松山から特急しおかぜで四国の上の海岸線を辿り、瀬戸大橋を渡って岡山、岡山から新幹線で東京。
これなら、しまなみ海道や愛媛の海岸、瀬戸大橋を通ることができる。親父が見たであろう風景の一端を見ることが叶うのではないか。
感傷的すぎるかもしれないが、親父がかつていた町やその町の海が、東京生まれ東京育ちの自分にも受け継がれていることを実感したかった。

13時3分、新幹線は福山駅に着いた。改札を出て、しまなみライナーの停留所へ向かう。
いくつもの停留所が並ぶ駅前のバスターミナルには雪が舞っていた。

遺された日記「ツール・ド・松山」に春のしまなみ海道のこと

米原の手前でこの冬初めての雪景色、点眼薬のよう

/杜崎ひらく


【日記49】親父の足跡〜夜はカレー




2月1日、どこへ旅に行くか決めたぞ。行き方も。親父の足跡をたどる、というほど大それたものでもないけれど、親父の故郷である松山へ七年半ぶりに行ってみることにした。
親父がFacebookに残した記録や写真から、故郷の松山にどんなルートで行っていたのかをなんとなく割り出した。この「なんとなく」というのが結構大事。
3泊4日の予定なので、急いでホテル3つと東京〜福山の新幹線、福山〜今治のバス、松山〜岡山の特急、岡山〜名古屋の新幹線のチケットを取る。


2月2日、気合を入れたいときにはささみカツ! ということで、いつもの飲み屋Tでタルタルソースもたっぷり添えて作ってもらう。旅に向けて気持ちが高まってきた。


2月3日、長旅に備えて整骨院でしっかり目に体をほぐして整えてもらう。なんたって、旅の初っ端から3時間26分の新幹線移動だからね。日頃の座りっぱなしぐだぐだデスクワークで座っているのには慣れているにしても、さすがにきついので念入りに。
夜はカレー。いい量の作り置きもできたので最高。