2024年4月20日土曜日

【文フリ情報】文学フリマ東京38 * ブース【し-07】

5月19日(日)に東京流通センターで開催される文学フリマ東京38に出店します。

3月25日に刊行となりました私家版第三歌集『互いの窓に降りしきる』をメインに、これまでの歌集『自転車修理屋』、『夏ですよ』もお持ちします。
いずれも新書サイズ、500円です。

今回から一般来場者も入場料がかかるようになってしまいましたが、ご来場の際はぜひお気軽に僕のブースにも遊びに来てください。


*書誌情報*


歌集『互いの窓に降りしきる』(新刊)

(新書サイズ/86ページ/500円)



歌集『自転車修理屋』(既刊)

(新書サイズ/62ページ/500円)



歌集『夏ですよ』(既刊)

(新書サイズ/72ページ/500円)


【ブース配置】

サークル名は分かりやすく「杜崎ひらく」としています。
ブース番号は「し-07」、第二展示場2階となっています。
流通センターの入口から正面に向かって、手前・右側の建物です。


【月詠】一月二日(「塔」2024年4月号)

僕が所属している結社の結社誌「塔」4月号が届きました。
今号では村上和子さんの欄で選をいただいております。

まどろんでいるかのような細い目で歩行器に身をまかす老犬 
妻の手に歩行器を伝いよみがえるリード引っ張る強き脚力 
逃げてください テレビの声が繰り返し犬の背中に妻はかぶさる 
夜のごと黒く染まった朝市を朝日が拭おう拭おうとする 
春を引け我らの腕で遥かから遠き春から春引き寄せよ 
東京の雨はようやく止みたれどここではなくて一月二日

1月1日、ちょうど妻の実家に帰って夕食をいただいているときに、たまたま点けたテレビで能登半島地震を知った。「逃げてください」と繰り返していた。
被災地からは遠いところにいて、犬の散歩をしているときに地震が起こったので、全く気づくことができなかった。
歩くことが難しくなった老犬は、ようやく届いた歩行器に身を預けて、確かな足取りを取り戻したように見えた。そうか、歩きたかったんだな、歩きたかったけど歩けなかったんだな、と家族みんなで老犬を囲んで散歩をしていた。
翌日、たまらなくなって短歌を作った。
Twitterでは、「文芸には何ができるだろうか」「歌人にできることなんてない」と言った投稿がちらほらとあり、なんだ、なんで、どうして疑うんだ、どうして歌を詠まないんだ、と苛立ちを抑えられなかった。

「塔」4月号は創刊70周年記念号となっており、巻頭からドバーッと140ページほど様々な特集が続く贅沢な内容となっています。

2024年4月14日日曜日

【日記8】物語について〜鰹のたたき&フリーレン

4.7 SUN 何が物語を求めるのか


田畑書店から出ている『小川洋子のつくり方』を読んでいる。
先にYouTubeで見ていた関西大学での公演も文字起こしされていてとても良い。
ニューヨークタイムズに寄せた文章や海外でのトークイベント、インタビューなどがたくさん収録されている。
小川さんが小説について繰り返しているのは、〈原因や理由がわからないからこそ、物語が必要なんじゃないか〉(『小川洋子のつくり方』)ということ。
物語は、どうにもできない辛さや苦しみを乗り越える時に、救いを求めて作り出されるものなんだろう。
小説を書いている人、それはプロもアマも問わず「なぜか分からないけれど書かなければしょうがない」という人は特に、そんな風に物語を求めているから小説を書くのかもしれない。


4.8 MON 12年前、群像新人賞


気まぐれにFacebookを開いたら、12年前の今日、「群像新人賞は今回もダメだった」と投稿していた。余計な機能だぜ、まったく。
当時、僕は自分がどうして小説を書いているか分からなかった。書かなくてはいけない物語があると思ってはいたけれど、その理由は最後まで分からないままだった。


今、こうして小説を書かないでいられることが、書くべき物語を書き終えたからだとは思わない。書き終えていないけれど、書き進めていく中で、そのうちにいくつかの小説を書きおわり、次へ次へと歩いていたことが、ただその行為だけが、僕に必要だったのかもしれない。
その点、短歌は全然違うような気がする。書かなくてはいけないというよりも、言葉にしたいことがある、という感じ。言葉にしておきたいことがある、という気持ちだ。


4.9 TUE 看板の貼り替え 


仕事で大規模な看板施工に立ち会い。
21時半まで、職人さんが古い看板を剥がして、工夫を凝らして難しい土台に基礎を作って新しく貼り替えるところを眺めていた。


4.10 WED 歩き方のクセが強いんじゃ


とにかく会社帰りにめちゃくちゃ歩いている。
2時間歩くのはザラだ。2時間は短い方。
知らない道を歩くときは、まずは大きい通りを歩いて、道に沿って歩いていく。それから少しずつ、ここを曲がったら早いかな、ここを通り抜けたらどこに出るかな、と少しずつ逸れたりずらしたりして、元の道を手掛かりにしながらも新しい道を発見していく。
最初から発見はない。
まずは大筋を掴んで、入り組んだ路地へ潜るのはそれからだ。
東西南北が分かっていても、オーソドックスな道が分かってないないと、迷った時に軌道修正できない。
とにかく探求者のように道を歩く。
楽しむのではなく、本能を呼び覚ますように、いつもの自分がぼろぼろと剥がれ落ちて、奥の奥の方の自分に手が届くように。
そんな風に歩いているから、ランナー膝になって足を引きずる羽目になったのだ。めちゃくちゃ痛い。右膝。痛い〜。


4.11 THU 足が、足が〜!


足が痛すぎて、シェアサイクルで帰った。


4.12 FRI 久々に飲み屋へ


足は痛かったけれど、夕方にはなんとか痛みが引いたので、途中だけ電車に乗って、最初と終わりの道のりだけ歩く。

妻と待ち合わせていつもの飲み屋「T」へ。久々に行った気がするが、多分そうでもないのだろう。飲み屋に行く頻度が半端ないだけだ。


4.13 SAT 月詠の日


朝から月詠を進める。
出す歌を選んで、あーでもないこーでもないと考えて清書。
封筒に入れたけど、出すのを忘れた。


近所のBOOKOFFに寄っていろんな本を見る。
スーパーまでぶらぶら歩いて覗いてみると、鰹のたたきが安かったので買って帰った。
3月に終わってしまったフリーレンを1話から流しつつ、晩酌。
連作を練り始めた。


今週のアルバム




朝の道。駅を出てすぐに上着を脱ぐくらい暑かった。


素晴らしい晩ご飯を作るには、まずハイボールが必要。


お茶漬けに入ってる、広重トレカ

鰹のたたき食べながら観るフリーレンも最高だった


2024年4月7日日曜日

【日記7】3分咲き〜シュガータイム読了

3.31 SUN 3月の最後の日


翌日歌会の日。
桜は3分咲きくらい。
歌会の日は緊張する。自分が主催だとなおさら。参加する人がしっかりと短歌に浸れるように、でも長丁場過ぎて疲れないようにしないと、と考えながらの進行を心がけている。
議論が白熱してきたら、しゃべっていない人にも目を向けてみる。何か言いたそうだったら「どうですか?」と訊いてみたり、じっくりと考えを巡らせているようだったらそっとしておく。成り行き任せで面白くなるのが一番だし、短歌から逸れても、普通に世間話的になっても基本的には軌道修正は行わない。でも、短歌に戻ってこれなくなると良くないので、絶妙なところで引き戻す。そこは司会の特権というか、唯一、人の話に割って入れる力を持っていると思うので、有効的に、会のためになるように使うようにしている。
でも、だからこそ、歌会が終わったあとはけっこう額の汗を拭う感じで、「ほうーーー」と長い息をつくことが多い。
でも、人に時間を使ってもらっていることを考えれば、そのくらいぐったり疲れるくらい、気を張っておかないととも思う。


ただ、この日は歌会のあとに会場近くの公園までぶらぶら歩き、花見をした。
つい二日前に咲いたばかりの桜の下には、近所の人たちがたくさん集まっていた。
僕らもゆっくりと歩きながら桜を見て、最後は池の亀を見た。
再び会場へ戻り、コンビニで買い集めたお酒とつまみで乾杯をして、3月最後の日を締めくくった。


4.1 MON 風になる


職場で流れているラジオから、Lucky Kilimanjaro「風になる」が流れてきて嬉しかった。
〈悩みがちなのは 自分で選ぶのが怖いから 君は風になる 好きを選ぶ勇気をあげる〉
ここの歌詞がめちゃくちゃいいんだ。


家に帰ったら、頼んでいた本がたくさん届いていた。ほとんど小川洋子さんのもの。小説ではなく、対談集。


4.2 TUE 言葉は情動を載せない道具


小川洋子×岡ノ谷一夫『言葉の誕生を科学する』を読み始めたら、出だしからずっと面白い。古本で買ったので、書き込みのある痕跡本だった。前の持ち主と、「ここ、重要だよね」「これはどういう意味なんだろうね」とか一緒に読み進めているようでお得な気分になった。
この本を知ったきっかけは、YouTubeにあった小川洋子さんの関西大学での講演。「小説の生まれるところ」と題して、小説『ことり』がなぜ書かれたか、一文字めを書き始めるその前に一体何があったのか、ということが詳しく語られていて、その中で、ジュウシマツやハダカデバネズミを相手に言葉の起源の研究に取り組む岡ノ谷先生の発言に触れられていたのだった。


〈言葉は情動を載せない道具として進化してきたんじゃないか〉


これは衝撃的だった。
これまで僕はどうにか言葉に感情を載せようとしてきた。どうにか伝わるように、どうにかこの記号たちが記号以上の意味を持つように躍起になってきた。
僕はこの言葉に、言葉とは道具であるという場所に、もう一度立ち帰らざるを得なくなってしまった。
ただ、本書(文庫版)では、小川洋子さんは「文庫の前書きにかえて」で翻訳家の佐藤良明さんのこんな文章を紹介している。


そもそもコトバって、単語でできているのか? そうじゃないだろう。コトバの本体は気であり霊であって、単語の集積として目に見えるものは、生き物として舞っていた言葉を捕獲して虫ピンで留めたものにすぎない。壁の上の言葉をなぞっても虚しい。捕らえられるべきは「舞い」なのである。(『佐藤君と柴田君の逆襲!!』)


果たしてこの「舞い」とは何か。
これは、おそらく、読み手の中にしかない。
読み手の中に生まれる、作り手との齟齬、そこにしかないものではないか。
それがおそらく、「文学」を支える大前提なのではないかと思う。
言葉の不完全さ、一人として同じ人間がいない、そのことが、「舞い」を生んでいる。


4.3 WED 食べるラー油


出勤時以外は雨。
昨日、ここ一週間ほどずっと食べたくて悶々としてた食べるラー油をようやく買った。
どこにも売ってなかったわけではなくて、ただ単に買い物をサボっていただけ。
お弁当に入れて持ってきたら、ものすごく美味しくて、これは常備しないとダメだと思った。


4.4 THU 物語を作ること


小川洋子『シュガータイム』を読み始める。
臨床心理学者の河合隼雄さんと対談の中で、小川さんは、「なぜ小説を書くのか」と訊かれた時にたじろいでしまうことがあるという話から、なぜ人が物語を作るのかということを〈生きていく上で難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままでは到底受け入れ難いので、自分の心に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶していく〉という風に語っている。
確かに、異常な食欲に苛まれる『シュガータイム』の主人公も、その食欲が起こった原因について、こうだったのではないか、もしかしたらこれが原因ではないか、というように自分の中に物語を作り上げるようにして、原因を見出そうとしている。
受け入れ難いこと、受け止めきれないこと、なんだかよく分からないことに直面した時、人は自分を納得させる物語を作り出す。
それは生きていくための本能とも言えるかもしれない。


4.5 FRI 接骨院と桜満開


腰と首が言うことを聞いてくれず、仕事中も座っていられないくらいの痛みが出てきたので、接骨院へ。首の可動域が広がり、なんとか助かった、という感じ。
桜は満開。


4.6 SAT 月詠、頑張れ自分


朝に『シュガータイム』を読み終えて、そこから地続きに月詠を書き始める。
今月はスタートが遅い。
どうかなぁ、10首できるかなぁ、と不安。
でもやらないと!!と自分を奮い立たせてノートに向かう。






2024年4月6日土曜日

【日記6】トラブル〜左手の発見

3.25 MON トラブりつつも通常営業


妻と仕事帰りに待ち合わせていつもの飲み屋「B」へ。
そしたらトラブル発生で開店が遅れていて、カウンターで座ってちょっと待たせてもらった。
まぁまぁとんでもないトラブルだったけど、だんだんとおかみさんもいつもの調子を取り戻して、この月曜から飲みにくる夫婦を面白がりつつ色々話してくれた。


3.26 TUE 入稿!!


歌集の原稿を入稿した。クランクアップ!(意味は違うけど)
缶ビールを開ける。


3.27 WED なかなか咲かない桜


仕事のあとに妻と待ち合わせて、コンビニでチキンとハイボールを買ってぶらぶら。
桜はまだ咲かない。
蕾は大きく膨らんできているけれど。
週末は歌会があり、そのあとに花見の予定だけれど、どうだろうか。


3.28 THU 目黒川、人が増えてきた


目黒川沿いの桜は蕾がかなり膨らんできていて、あと半日でも陽が当たれば開くんじゃないだろうか。


3.29 FRI 時間の余裕


朝、雨。午後から急に晴れた。
仕事を終えて外に出たら、これまでの雨の冷たい日々が嘘だったかのように急に春みたい。
そして、桜がやっと開いた。
平成21年のクリスマスに、気象庁は来春からの桜の開花予想を行わないことを発表した。
あれから15年、と思ってみる。過ぎ去った僕の15年には、やっぱり15年分のいろんなことがきちんと起きていて、15年前はそれなりに遠い過去となりつつある。
今年、冬の頃から目黒川をよく歩くようになったので、葉の落ちた細い枝に、だんだんと蕾が目立ち始め、それが膨らみ、徐々に重くなるのか枝が川面に近づいて、当初の開花予想から遅れに遅れてようやく1つ咲いた、というところまでを見届けることができた。
この先、一つの花の変化を見届けることなんてあるのだろうか。そんな余裕があるだろうか。
今、僕にはなぜか有り余るほどの余裕がある。
多分、何かをやれ、この時間を何かに使えということだと思う。長くは続かない予感がしている。


3.30 SAT ハンドリガード


暑いくらいの日。友達の赤ちゃんを見にいった。
そう、この前急に夜中にLINEを送ってきた友達の。
子供は、気づくと大きくなってしまうから、赤ちゃんの時に出会えることは幸せだ。
里帰り中の実家に3人で押しかけ、それぞれの手土産を食べ、出してもらった紅茶やコーヒーをいただきながら、あまり長居するとあれだからと言いつつも、赤ちゃんを囲んで気付けば3時間も話していた。
赤ちゃんは時々、自分の左手を発見しては、珍しそうに眺めていた。ハンドリガードというらしい。
自分の左手という素晴らしい発見を日々しているなんて羨ましすぎた。

夜は、翌日の歌会の準備をした。
届いた詠草をまとめる。








【日記5】歌集の原稿〜完璧なディナー

日記に書こうとして溜めていたメモのデータが、さあやっと書き始めるぞという時になって消えてしまった。
なので3月17日から3月29日までの日記は、とてもうろ覚えの中で書いていく。
さて、どうなるかな。


3.17 SUN 突然の連絡


歌集の原稿を作り始める。
一年に一冊作ると決めた歌集の3冊目なので、もう過去2冊を作る間にInDesignのフォーマットはできている。
そこに流し込んでいくだけなのに、なんだかいつも緊張する。
パソコンに短歌を流し込んでいると、付き合いが長いながらも程よくたまにしか会わない友達から、急にグループLINEに連絡が来て、子どもが生まれたとのこと。
みんなで盛り上がって、今度会いにいくことになった。


3.18 MON 待ち合わせが下手


開花予想を調べる。
前に調べた時よりも遅れて、24日開花、31日頃満開となっていた。
歌会を開こうと思っている日がちょうど満開となる予想で、仕事中に少し顔がほころんだ。
仕事帰りに妻と駅で待ち合わせて缶のハイボールとからあげクンを片手に一緒に帰る。
ちなみに僕たちは付き合っている頃から待ち合わせがうまく噛み合わない。
ここで待っていてと伝えても、なんだかそこで落ち合えない。
「こういうつもりだった」という意図がなかなか互いに伝わらない。
でも、それでも大丈夫なのもまた、僕たちである。


3.19 TUE 倍返し


春分の日の前日、またしてもいつもの飲み屋「T」へ。
火事で休業していた間、相当みんな楽しみにしていたんだろう。開店からずっと満席のままラストまで。
テレビで懐かしの半沢直樹を流しながら、気づいたら0時半を過ぎていた。


3.20 WED 私家版第3歌集『互いの窓に降りしきる』


3冊目の歌集のタイトルを『互いの窓に降りしきる』に決めて、告知を行う。
まだどこにも発表していない連作「胸の真ん中」から3首を選び、告知画像に載せた。





3.21 THU 文語新かなとしばしお別れ


最近は本を読みながら歩いてはいない。代わりに短歌を考えながら歩いている。
最初は月詠のつもりで書き溜めていたけれど、みるみるうちに多くなって、50首くらいになりそうだったので、これはもう連作にしてしまおうと、そのつもりで考えるようになった。
今回はメモから作っていくというよりは、上五にぴたりとはまる言葉を思い浮かべて、そこから考えていくようにしてみた。
なんというか、短歌にしようと思ってあれこれいじったり整えたりするのではなく、すっとなんとなく初めから短歌の形を持っているものを、土に植わった大根を引っこ抜くような感じで。
そうなると、自然と口語の歌が出てくる。
この頃ハマっていた文語新かなミックスはしばらくお別れかな。


3.22 FRI フリーレン最終回


短歌を考えたくて、仕事帰りにノート片手に1時間半ほど歩いてそのまま地元のいつもの飲み屋「B」へ。インスタント麺が好きな女将さんに3袋入りの「これ絶対うまいやつ」シリーズの旨辛スタミナラーメンをお土産に渡したら、驚くほどに喜んでもらえた。
常連さんと、「今日でフリーレンが最終回ですね」という話をした。


3.23 SAT 妻の誕生日


妻の誕生日のお祝いを「T」で。
ふたりともこの日に別々のところで髪を切ってきて、お店で待ち合わせた。
僕は美容師の母のところで。実家の自分の部屋にほとんどすべてのものを置いて、投げ出すようにして出ていったままなので、そろそろ本当に整理したいからと言われ、少しものをまとめて帰った。
人から預かりっぱなしになっていて、でもその相手とは絶縁状態になっていて、なんてものもまだ残っていて、これはちゃんとしておかないといけないよなと思った。
実家をあとにして、いったん家に帰り、洗濯物を取り込んでから、「T」へ。
あとから妻が来て、髪を見るなり、互いに「おぉ」とか言って。
1年間、よく頑張った。
むしろ、これまでの人生よく頑張った。これからはもっとゆっくりまったりと過ごしていこう。という気持ちを伝えた。


3.24 SUN 最高の夜


歌人の永井駿さん企画の「小料理屋めも」に行ってきた。
料理を作るのも、食べるのも歌人。そして、空いたお皿を洗い、お酒を注ぐのも歌人。なんて素晴らしい夜なんだろう。
クラッカーですくった豚バラ肉のリエット、そして目の前で即興で作り出されたトマトとオリーブ、そしてアンチョビのマリネ。大皿で運ばれてきた鱈とマッシュルームのポテトグラタン。きつね色にこんがりとついた焼き色、スプーンで崩す時、そこだけがわずかに音を立てる。
肉の塊は程よく火が通った状態でまな板へ。包丁で最初の人たち。断面は鮮やかなピンク。完璧な火の通り具合のローストビーフは山椒で。グラスに氷をもらい、ロックで「常世」という鹿児島の焼酎。アルコールの嫌な感じのない、すっきりとした、だけど蠱惑的でちょっと抗えない味。チキンは皮がパリッと張って、いいアクセントに。締めくくりは、レモンをたっぷりと浸したオリーブオイルに、パルメザンをこれでもかというくらい削りまぶしたレモンパスタ。
完璧なディナーで、ちょっと現実に戻るのが大変だった。