2025年1月2日木曜日

【日記37】聞いてみよう〜止まってしまう



10月11日、夜、「泊まれる本屋 まるとしかく」主催のトークイベント「鳥羽さんに聞いてみよう」をオンラインで視聴。現地が盛り上がっていて、画面越しにこちらの気持ちも高ぶった。

10月14日、昼ごろから横浜へ。関内駅で降りて、横浜スタジアムの前を通って横浜市開港記念会館へ。みなと大通りと本町通りの交わる交差点に沿ってくの字に建物の正面を向け、中心には時計塔がそびえる。建築様式は、赤煉瓦に花崗岩を取り混ぜはいわゆる「辰野式フリークラシック」。東京駅の丸の内口駅舎と同じ。
大正6年竣工、翌7年に開館し、同12年に関東大震災によって時計塔や外壁などを残して内部は焼失。その時にドームも失い、昭和2年竣工の復旧工事でもドームは復元されなかった。昭和20〜33年まで米軍に接収され、昭和60年、創建時の設計図が発見され、ドーム復元が果たされるとともに創建時のままの姿が蘇った。とのこと。
建物内部も明治末期から大正の美しい建築様式が再現されていて、おそらく非日常的な空間の演出にもってこいなのだろう、幾人ものコスプレイヤーさんたちの撮影で賑わっていた。危うくなにか剣(ソード)みたいなものを踏みそうになったけど。

そんな歴史ある名建築の中で、小俵鱚太さんの第一歌集『レテ/移動祝祭日』の読書会は行われた。奇しくも今日は体育の日で移動祝祭日。この歌集を読むにはうってつけの日だった。
読書会のあとは歌会。歌会のあとは近くのお店へ流れ込んで乾杯。二次会まで楽しんで、歌集にはサインもいただいた。

10月18日、仕事に行き詰まって頭をガシガシやったら、小さな花の萼が落ちてきた。木々のある道を通って通勤するようにしてるからだろうか。仕事帰りには初めて「銀狐」へ。台東区下谷。寺山修司のアクキーに見つめられながらビール。


10月20日、祖父の二十七回忌。これを節目に、長らく続けてきた祖祖母や祖母、親類の法事をお終いにしましょうということで、親族で集まった。親父も来た。本当は家に残っていてもらうつもりだったらしいが、前日になって行くと言いだしたらしい。とにかくタクシータクシータクシー!お墓参りをして、食事をして、解散した。
親族が集まると、僕はとても疲れる。礼服も来なくていいようなラフな会ではあったけれど。食事した店から出る時に父が自分で靴を履けなくて、かかとに靴べらと指を突っ込んで足をねじ込んでやったのがとどめとなって、ぐったりとしてしまった。どんどん弱っていくこの父を、見えないところでゆっくりと進行している病を、短くなっている寿命を思う。「年内かもしれません」という主治医の言葉を思う。
帰りはだいぶ手前の駅で途中下車して、歩いて帰った。
その疲れを引きずって、徳島日記が止まってしまうことになるのだった。


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